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寄り合い9カ条

筆の勢いで書いてしまった前回ブログの「Zターン」についてもう少し書いておきたい。これも上野毛の団塊主夫C氏との意見交換の中で考えたことだ。

都市化は、田舎から都会へという移動と同時に、互酬・贈与中心社会から貨幣・市場中心社会へという移行も意味していた。だから、Uターンにも、田舎に回帰すると同時に、生き方も互酬・贈与中心社会に回帰するという2つの意味を含んでいる。

この2つの回帰にはなるほど密接な関係がある。実際、都会よりも田舎のほうが、より互酬・贈与的な関係が残っている。しかし、田舎に行けば必ずそういうライフスタイルが実現するというわけではないだろう。言い方を変えれば、都会にいたままでも、互酬・贈与的な関係を作っていくことはできる。それがZeroメートルターン、Zターンだ。

さらに言えば、ターンとは、そもそも「過去の時代に戻る」ことではない。そんなことは、できないのである。田舎でも伝統的な関係は消失の危機にあり、実際、各地方でのミニ都市化・ミニ郊外化が進んでいる。都会よりも田舎のほうがより多くの遺産が残っているのは間違いない。しかしU・Iターンでタイムマシンにでも乗れると思った人はむしろ失望することが多いだろう。結局、都会にいようが、田舎にいようが、「回帰」ではなく「再構築」が求められているのだ。

貨幣経済や市場経済を否定するのは、むしろ馬鹿げたことだろう。その恩恵や可能性をベースにした上で、新しい社会、新しい生き方を再構築しなければならない。過去の互酬・贈与中心社会はもちろん重要なヒントだ。しかし、ただ平面上を回帰するだけでは目標に到達しない。回帰しながらジャンプしてより高い次元に上がっていく。そういうフィギュアスケートのような複雑なターン運動をしなければならないわけだ。

理屈はさておき、都会にいたままターンするZターンをいかに実現させるか。今住んでいるここを、自分の「地元」にするにはどうすれなよいか。

自分自身の生活スタイルの問題として考えると、なかなか厄介だ。上野毛の団塊主夫C氏との意見交換の中では、回帰すべき、正確に言えば再構築をしていく姿として、家族や隣人が「寄り合い」ながら生きている姿を描き、寄り合い9カ条を考えてみた。サラリーマンが自分の住んでいる場所を地元化するための9カ条と言ってもよい。

(1)サラリーマン仕事以外に兼業仕事をもっている
(2)兼業のうち1つは徒歩圏内に職場があり職場仲間がいる
(3)他の家族もそれぞれ何かしら稼いでいる(できれば地元に)
(4)親族の誰かが徒歩圏内にいて相応の行来がある
(5)幼馴染が徒歩圏内にいて相応の行来がある
(6)余暇活動のうち1つは徒歩圏内に仲間がいる
(7)隣人に鍵を預けることができる
(8)たまには一緒にご飯を食べたい隣人が徒歩圏内にいる
(9)買い物の一定割合は地元の経営者の店で行う

私は東京出身者だが、本来生まれ育った地域とは1時間くらい離れたところに住んでいる。ずっと生まれ育った場所に住んでいればこのうちかなりの条件を満たした可能性があるのだが、今の場所を前提に考えると、なかなか苦しい。本来の地元を敬遠して今日に至ったツケが表れている。

実現しているのは、(3)だけ。それも、核家族だから、娘が独立してしまえば、要するに私と妻の二人ボッチの寄り合いにすぎない。(7)(8)(9)は、ないこともない程度。(4)(5)はもはや不可能。努力次第で今後期待できるのは、(1)(2)(6)。私の場合、単なる茶飲み友達や遊び友達はべつにほしくないので、とくに(1)(2)が基本だろう。

そんなわけで、マトは絞られてきたのだが、さて具体策はとなるとはたと止まってしまう。やれやれ・・・。
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Zターンのすすめ

最近、「地方創生」との関係で若者の地方移住(Uターン・Iターン)が注目されている。しかしこの現象自体は、いわゆる「3・11」以降に目立つようになってきたものだ。

被災地で活躍するU・Iターン人材

尊敬する先輩の一人である上野毛の団塊主夫C氏(出身地は岩手県だが、大学のときから東京在住者)は、地方のまちづくりにコンサルタントとして長年かかわってきた。昨年の震災被災地調査では「Uターン・Iターン」人材がそれなりに頑張っていることを実感したという。まずはその話を紹介したい。

たとえば、T村では十数年前、村の地域経済活性化人材の公募で関東から来たIターン人材3名の若者・男女が頑張っている。ここは3・11の津波で年間50万人の観光客がゼロに落ち込み、大打撃を受けるが、3年後の昨年、震災前の水準までに復活した。その原動力になったのが関東からのIターン人材3名と地元30歳代の若者3名。

大都市に失望し、田舎に憧れ、自ら村に入ったIターンの若者は、地元若者との信頼関係を築き上げる努力をし、地元の若者も彼らから受ける様々な刺激を糧に地元を再評価し、担い手に成長する。よい循環が実現したわけだ。その他にも多くのIターン、Uターン者に出会った話を教えてくれた。

全国的にも徳島の過疎への企業誘致、空き家と農業志望者とのマッチング事業(名古屋や愛知・豊田市など)など、田舎への若者回帰が成功事例として脚光を浴びるなど、Iターン、Uターンが地域活性化方策として注目されている。

しかし、課題も多いとC氏は言う。あれこれ事業に手を出し過ぎて一過性に終わってしまうケース。また、自治体の委託事業で始まったまちづくり運動は社会事業に過ぎないので、どこまで持続できるかという問題もある。

運動に魂が入っていないと、一過性に終わり、折角の若者の意欲、芽をつぶす結果になってしまう。国は直ぐにモデルや制度として全国標準を図ろうとするだろうけど、地域、地域の事情に任せ、地域に考えさせ、自分達で決め、実行するような環境づくりを考えた方が良いと思うとのことであった。

スローライフが本質なのか

C氏から以上の話をメールでもらったちょうどその日、私は地方移住に関する講演会・シンポジウムを聞いていた。こちらは高知県の事例紹介中心。高知県で移住促進を担当している職員の方によれば、やはり3・11以降、若者の移住希望者が増えたそうだ。

3・11というのは、 戦後の日本の歴史の中でも特別なターニングポイントになる可能性がある。「地方から都会へ」は、なんだかんだ言って明治近代化以降150年近く続いたトレンド。都会で殖産興業してその恩恵を地方に還元する。日本人の生き方というか、思想、ライフスタイルがすっかりこの社会システムになじ んでしまっている。それを変えられるかどうか、そういうターニングポイントだ。

ところで、このシンポジウムでいちばん印象に残ったのは、「東京とは違う働き方を期待する若者が多いようだが、何が違うのか?」という論点だった。これは、来るべき新しい社会システムで働き方はどうなるのかという論点でもある。

まず、「勤める」のであれば、勤務中の時間はおそらくあまり変わらないという。ただし通勤が自転車5分ですむとか、土日は車で 30分以内に山、川、海の自然があるとか、そこが大きく違うと。

これはこれで、なるほどと思った。ワークライフバランスを重視し始めると、意外なほどの重要性をおびてくる問題だ。実際、誰もが果敢に起業できるわけではないので、U・Iターンがボリューム感をもつとしたら、このポイントかもしれない。いわゆるスローライフである。

しかし、これだけなら、本当の違いとは言えない。お金があれば、都会でもこれに近い暮らしはできる。たとえば、お台場近くの高層マンションに住んで、週末は東京湾横断道で木更津に遊びに行けばいい。

生きている手ごたえ、実感

一方、NPO法人れいほく田舎暮らしネットワークの川村さん(京都からUターンで高知に帰った人でもある)という方が、「生きるてごたえ、実 感」を語っていたのには、ちょっとしびれた。

これはお金では買えない。そして、起業するとか、何らか地域づくりにかかわって、はじめて得られるものだろう。U・Iターンの人が、収入で はないところで田舎の豊かさを発見する典型的なパターンは次の2つだそうだ。

(1)都会なら買うしかない食べ物が地元の人に教わって作ったらできた。
(2)石積のような作業が、とても人力ではできないと思っていたけど、みんなでやったらできた。

要するに、(1)衣食住に必要なたいていなものは自分でつくることができる、(2)公的な施設や基盤もたいていのことはみんなで協力すれば自 分たちでつくることできる、ということだ。

こういうことは資本主義化する以前の社会では当たり前のことだったし、実は、一昔前までなら、都会に住む一部の人を除く多くの日本人にとって当たり前のことだった。川村さんは、人間としての普通の感性を「取り戻 す」という言い方をしておられた。ひょっとして、お金なんかなくても人は生きていけるんじゃないの?と気づくわけだ。

経済人類学者のカール・ポランニーによれば、経済活動には、貨幣による「交換」のほか、「自給自足」、「互酬」、「再分配」がある。貨幣による交換は太古から世界のどこにでも存在したが、ワン・オブ・ゼムとして社会の中に埋め込まれていた。近代とは、その交換経済が自立し、社会の一部としての存在ではなく、社会を支配する存在にまで大きくなってしまった時代だ。それはきわめて異例の事態であり、長続きするものではないとポランニーは主張した。

都会には都会なりの手ごたえを

田舎には、貨幣経済から脱出する手がかりがたくさんある。それが田舎のアドバンテージではないだろうか。・・・実は、こういう結論をそえて、高知県のシンポジウムの感想をC氏に送ったところ、「同感である」としながらも、「拙い一言」との前置きで鋭い一言を頂いた。

ここは大事な点だからそのままC氏の文言を引用する。「問題は、都会だけでなく、田舎の人も含めて『生きる手ごたえ』を求める人がどれほどいるか。仮にいるとしても『都会なりの手ごたえ』、『田舎なりの手ごたえ』があり、それぞれの考え方、生き方によって手ごたえの内容も異なるのではないだろうか。自分も含めてもう少しこれまでの生き方に向き合い、自分にとって『生きるてごたえ、実感』ってなーに、とつきつめ、自分なりの生き方を探すことも必要か。」

いま住んでいるこの都会を「地元」にしたい、というのが、私のポスト消費社会論だ。しかし、これはなかなか難しいことでもある。そんなとき、田舎はアドバンテージがあるからいいよなという言い訳をしてしまう傾向があったかもしれない。C氏の寸鉄一言でそのことに気付いたのである。

UターンでもIターンでもない。いまいる都会を地元化する。つまり、物理的に移動したり向きを変えたりわけではないが、生き方をターン(転回)する。Zeroメートル・ターン、Zターンだ。

地元チャート2


思えば、平川克己さんが提唱する「小商い」「銭湯経済」などその試みなのだろう。都会にいても、できるだけお金を使わず、共同体 的な生き方をする方法だ。

あと、高円寺で「素人の乱」というリサイクルショップを展開している松本哉さん(団塊ジュニア世代)を取材したとき、「ひとりで生 きていこうとするからコストがかかる」と言っていたのを思い出した。

教育費や住宅ローンの負担を抱えながら「Zターン」するには勇気がいる。その負担から解放された「オールド・ボーイズ」、またはその予備軍のわたしのような世代から果敢に始めるべきことなのだろう。

世界三大「アンチ幸福」論

前々回のこのブログでいわゆる世界三大幸福論について紹介した。今回は、世界三大「アンチ幸福」論を紹介したい。アンチ幸福論とは、そもそも人生の目的は幸福ではないという主張である。ただし、これは私が考えて今ここに発表するものだから、紹介というより提案というべきだろう。三大幸福論と符節をあわせて、ドイツ語圏、フランス語圏、英語圏から1つずつ選んでみた。

・アルトゥール・ショーペンハウアー『生活の知恵のためのアフォリズム』(1851年)
(新潮文庫から『幸福について―人生論』という題名で翻訳が出ている)
・ギュスターブ・フローベール『(シャントゥピイ嬢宛)書簡集』(1857-1861年)
・オルダス・ハックスリー『すばらしい新世界』(1932年)

ショーペンハウアーは厭世哲学で有名なドイツの哲学者、フローベールは『ボヴァリー夫人』の作者として有名なフランスの小説家、ハックスリーはメスカリン(幻覚剤)実験でも知られるイギリスの小説家・詩人・評論家だ。

下の絵は、『生活の知恵のためのアフォリズム』が収録されているショーペンハウアー全集(白水社)第11巻の口絵。ヴィルヘルム・ブッシュによる1870年ごろの鉛筆画として掲載されている。彼は学界でも世間でも無名に近い哲学者だったが、この作品を含む随想集『パレルガ・ウント・パラリポメナ(余禄と補遺)』を60代で出版し、初めて「売れる作家」になった。この絵は、「ミュンヘンの隠者」として、変人ながらも愛された最晩年のショーペンハウアーを彷彿させる。

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フローベールも「クロワッセの隠者」などと称され、ショーペンハウアー同様、人間嫌い、社交嫌いであったとされている。ハックスリーも含めた3人に共通する資質としては、皮肉なユーモアということが挙げられるだろう。

幸福ではなく、救済、美、真を

共通点はそれだけではない。ショーペンハウアー(1788-1860年)、フローベール(1821-1880年)、ハックスリー(1894-1963年)の3人を並べると生没年で100年くらいの幅があるが、いずれもヨーロッパ、次いでアメリカが物質文明の大いなる飛躍をとげた時代である。

つまりこの3人も、以前にブログで書いた三大幸福論のヒルティ、アラン、ラッセルと同様の社会的背景から登場した。三大幸福論の著者たちの関心が「物質的幸福の次の段階の幸福は?」という問いかけだったとするならば、三大アンチ幸福論の著者たちは、そもそも物質的幸福の存在を認めず、ひいては幸福の存在そのものを否定した。人生の目的は(もし目的があるとしたら)幸福ではない。

ショーペンハウアーの『生活の知恵のためのアフォリズム』の諸言では、いきなり、人間が幸福になるために生きているというのは迷妄に過ぎないと断言する。幸福論という言葉自体が「バナナの叩き売り式の美辞麗句にすぎない」とまで言う。人生の目的は「幸福」ではなく「救済」だというのが、彼本来の哲学が教えるところなのである。

それでもこのアフォリズムではいわゆる幸福(とされているもの)が考察される。しかも、一見すると古代から今に至るまでの普遍的な人間性を考察しているようであるが、実は資本主義社会に即した考察になっている。それは幸福の源泉を「人のあり方」「人の有するもの」「人の与える印象」に3分類し、後の二つがいかにあてにならないかを力説するという構成によく表れている。現代の資本主義社会は、古代や中世には一部の貴族や富豪にしか許されなかった「富と名声による幸福」を万人が求めるようになった社会だ。そういう時代、社会での人生論なのである。

フローベールは現代社会への嫌悪をさらに率直に語っている。フローベールの時代での現代、すなわち十九世紀の「いちばんの急進的な思想でも、後世の軽蔑をふくんだ目には、滑稽でたいへん保守的にうつるでしょう。わたしは断言しますが、たったの五十年で、<社会的課題・集団教育・進歩・民主主義>なんていう言葉は、十八世紀末にたいそうはやった<感受性・自然・偏見・やさしき心のきずな>などと同様に、グロテスクなものに見えるでしょう」

幸福についても辛辣である。「わたしたちのつとめは生きること(言うまでもなく、高貴に)であり、それ以上の何ものでもありません。・・・人々が、もう幸福を求めなくなる日が来るでしょう。――進歩ではありませんが、人間は、ずっと落ち着きを見せるでしょう」。人生の目的は「幸福」ではない。そもそも人生に目的を求めてはいけない。「人生とは何とも醜いものですから、耐えぬく唯一つの方法は、それを避けていることです。そこで、芸術に打ち込み、美によって示される真を無限に追及しながら、それを避けるのです」

おぞましい新世界

フローベールの予言はある程度当たった。1932年に発表されたハックスリーの『すばらしい新世界』は、物質文明の極度に発展の先に、グロテスクでおぞましい新世界を描く。そういう発想のSF小説が登場したのである。未来の年号は、イエス・キリストではなく、大量生産・大量消費の礎を作った自動車王ヘンリー・フォードにちなんで「フォード紀元○○年」と数えられている。はっきり書かれていないが、フォードの生誕年か、T型フォードの発売された年か、いずれかが元年になるのだろう。

ハックスリーは、大量生産・大量消費の本質が「規格化・標準化」であることをよく承知していた。そこで人生や社会を規格化・標準化し、管理したらどうなるかを描いてみた。その未来世界では、子供はすべて人工授精で生まれ、96通りの「標準型男女」として生産される。自動車に高級車と大衆車があるように、上層階級から下層階級までが最初から決まっている。下層階級の人でも、胎児の段階から「条件反射教育」を受けているので社会的騒乱は生じない。

不安感や不満感が感じそうになったら「ソーマ」という化学物質を適宜服用する。フリーセックスであり、家族というものも形成しないので、愛をめぐる一切の葛藤から解放されている。60歳くらいまでまったく病気にもならず、老いることもなく、ある日突然静かに死んで、こっそり処理される。出家前の釈迦王子の宮廷のように、人生における醜いもの、「生老病死」の苦しみは一切見えないようになっているのである。

こうした「すばらしい新世界」においても、非常に知力の発達した人は、ふとおかしいのではないかと気が付いてしまう。小説の中では、超エリートのヘルムホルツ君のひそかな渇望が次のように描かれる。「エスカレーター式テニスの選手で、精力絶倫の漁色家(わずか四年足らずの間に六百四十人の娘と関係があったと噂されていた)で、委員会の立役者で申し分ない交際家であるこの男は、スポーツも女も共同体活動も、彼だけの気持ちからいえばいずれも次善的なものにすぎぬと俄かに気づいたのである。実のところ、心の奥底では、彼は何か他のものに興味をもっていた。しかし、それは何なのか。いったい、何なのか」

また、この世界を裏側で管理する男は、ある危険思想の書物を検閲しながら次のようにつぶやく。「これは傑作だ。しかしいったん目的観的解釈を認めだせば――いや、その結果がどうなるか、しれたものではない。それは、上層階級の思想堅固ならざる連中の条件反射訓育をただちに台なしにする恐れのある思想である。――彼らをして至高善としての幸福に対する信仰を失わせ、その代わりに、目標はどこかはるか彼方に、現在の人間世界の外のどこかに存すると信じ込むようにさせ、人生の目的は幸福ではなく、意識の何らかの強化と洗練であり、知識のある種の拡張だと信じさせるようになるかもしれない。多分その考えが正しいのかもしれないのだが、と所長は思うのだった。・・・そして彼はため息をもらした。『もし幸福などということを考えなくてすむのなら、どんなに面白いことだろう!』と彼は思いめぐらすのであった。」

世界の本質に迫る方法

ショーペンハウアーには「救済」、フローベールには「美と真実への献身」、ハックスリーには「意識の強化・洗練」が、「幸福」に代わる人生の目的であり価値である。

私自身、若いころには、これらの著者の思想に大きくひかれていた。皮肉なユーモアも大好きで、むしろそういうものが感じられない思想は物足りないというか、ちょっと愚鈍な感じすらしたものだった。なかでもショーペンハウアーは十代のころから愛読していて、長い間、私にとって特別な存在だった。10年ほど前、思うところがあり、蔵書をいったんすべて捨ててみようとした。そこまでして残る本は本当に読みたい本なのだろうと。結局、9割の蔵書を処分したが、そのときも、ショーペンハウアー全集は残った。ミュンヘンに出張した友人に買ってきてもらったドイツ語版の選集も持っている。ドイツ語はまったく読めないので、この選集に至ってはほとんどお守りと言ってよい。

いまの私は、皮肉なユーモアをそれほどは好まない。「幸福」についてどちらかと言えばポジティブに考えているし、物質的幸福の魅力にも相応の価値があると思っている。年齢の問題のほか、いくつかの理由から、とにかく嗜好が変わってしまったのである。

それでも、今回、このブログを書くために3人のいろいろな著書をざっと読み返してみて、ああたまにはいいなあとため息をもらしてしまった。とりわけやはり、ショーペンハウアーがいい。皮肉なユーモアには昔ほどひかれないが、彼の主著(『意志と表象としての世界』)にみなぎる、世界の本質に迫らんとする気迫、切実さは稀有のものだと思った。

そこで最後に、フローベール書簡集とショーペンハウアーの著作の中から、世界の本質をめぐるよく似たような考察を並べておこう。いずれも、もし宇宙が物理法則だけに支配されているなら、人生の目的を考えることに意味はあるのかという考察だ。宇宙論と幸福論はつながっている。19世紀には、ビッグバン理論はなかったが、天体物理学や地球物理学についてはかなりのことが知られるようになっていた。それを前提にお読みいただきたい。太字は引用者による。まず、フローベール。

「天の河の小さな星をひとつ眺めるとき、地球はこのひとつの閃光よりも大きくはないんだとつぶやく。そして、そのまわりを一瞬まわっているにすぎない自分とは、いったいだれなんだ、わたしたちは、何ものなのでしょう。自分が弱いものだというこの感じ、自分が無であるという感じで、心が落ちつくのです。自分が宇宙の中に放りだされた一粒の塵埃となり、それでいて自分をつつむこの無限の広大さの一部でもあるような気がします。それが絶望的などとは、思ったこともありません。なぜなら、黒い垂れ幕のむこうには、何ひとつ存在しそうもないからです。しかし無限は、わたしたちのあらゆる概念をおし流してしまう。それなら、それが存在する瞬間から、どうして私たちのような相対的なものに、目的が生まれたりするのでしょうか。途方もなく長い天秤棒で、海の砂を量ろうとしている男を、想像してごらんなさい。両方の皿をいっぱいにするともうあふれだし、その仕事はいつまでたってもはじめと同じです。あらゆる哲学はそんなもんです。(フローベール書簡、1857年6月、クロワッセ)」

次に、ショーペンハウアー。

「無限の空間に無数の光る球があり、そのひとつひとつの回りをおよそ一ダースほどの照らしだされた小さな球がぐるぐる回っているが、その内部は熱く、堅くて冷たい皮におおわれており、その皮の上でこれを覆っている黴が認識する生命体を生みだした。――これが経験的真理、実在であり、世界である。けれどもこの生命体は無限の空間で思いのままに漂うあの無数の球の上に存在して、どこから来て、どこへ行くかを知らず、休む間もなく迅速に生成消滅をくりかえしつつ、初めも終わりもない時間のなかで、押し合いへし合い、苦しむ数えきれない存在のひとつに過ぎない。・・・経験科学が教えうることはすべてこれらの出来事の比較的正確な規則と性質のみである。――そこでようやく近代の哲学は、とくにバークリとカントの哲学をとおして次のことを自覚するにいたった。すなわちこれらすべては何といってもさしあたり脳髄の現象にすぎず、・・・この現象の根底にあるかもしれないまったく別の世界秩序に、・・・場所をあけるということである」(ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』続編Ⅰ)

フローベールにとって哲学は何らあてにならないものだった。むしろ「自分が無であるという感じ」にこそ彼の慰めがあった。一方、ショーペンハウアーは、バークリ、カント以来の革新によって、哲学は世界の本質の迫る方法論を得たと確信した。そして「黒い垂れ幕のむこう」に、「まったく別の世界秩序」を発見したのである。

アジア市場は「絶対品質・美学・地元化」

日経新聞がアジア主要6カ国で行ったブランドイメージ調査(日経新聞2014年11月5日朝刊)によると、日本製品は「買ったことがある」ブランドでは強いが、「買いたい」ブランドでは相対的に地位が低下しているという。この調査はブランドイメージを構成する次の6つの要因の評価を聞いている。
・高い品質
・デザインが優れている
・革新的
・高級感がある
・サービスが良い
・割安・お買い得
そして、日本ブランドは「サービス」「割安」は強いが、「高級感」「デザイン」で売る欧米勢に後れをとると総括する。

記事では日本ブランドのシンボルと言うべき自動車が例にひかれている。「買ったことがある」では日本車が強い。しかし「買いたい」の1~2位になると6カ国ともアウディ、BMWが占める。BMWとトヨタのブランドイメージを比較すると、「高級感」や「デザイン」でBMWに大きくポイントをあけられていることを指摘。そんななか、「買いたい」で健闘が目だったのはカジュアル衣料・ファストファッションの「ユニクロ」で、「ZARA」「ジョルダーノ」に続く3位に入ったという。

受け入れる立場で考えてみる

人口減少社会の中でも、国内市場の重要性が減るわけではない。日本人がより楽しく、より良い生活をしていくためにはどうしたらよいか。その努力が続けられなければ、ジャパンブランドだって(それが仮にあるとしても)すぐに過去の栄光になってしまう。しかし一方、せっかく良いものを創っても、もしくはその力があるとしても、アジアを中心に成長する世界市場とリンクしなければ、未来は開けない。どういう作戦に出るべきだろう。

幸いなことに、アジアで台頭する中間層は、実はつい数十年前の私たちの姿でもある。何のことはない、私くらいまでの世代であれば、昔を思い出してみればよいのである。もちろん当時と今では世界の状況は異なるし、欧米対アジアの構図と同じアジア同士(少なくとも非欧米同士)という構図の違いもある。そういう違いへも思いを致しながら、あくまでも受け容れる立場で発想してみたいということだ。

私たちはなぜ外国製品を買うのだろう。基本的な機能と価格だけなら、もし外国製品と遜色のない国内製品が登場すればそちらに乗り換えるだろう。それはその国の発展のために良いことでもある。日本でも自動車や家電が本当に国民的に普及したのは国産製品が頑張ったからだ。それでも外国製品を買うとしたら、その理由は何だろう。

高級感の前に「絶対品質」

よく言われる「高級感」は、実はあまり参考にならないと思う。外国製品だから高級だという短絡的な受け入れ方は、いかに上手く演出したとしてもそう長く続くわけはない。先の日経新聞のBMWとトヨタのブランドイメージ比較を再び見直すと、記事本文では「高級感」「デザイン」を問題にしていたが、掲載された図を見ると、実は「品質」や「革新性」の評価でも後れをとっている。こちらのほうに問題の本質があるように思う。演出ではなく実体で負けている。

私たち自身、「絶対的な品質の高さや独自性」があれば外国製品を選ぶだろう。今でも、掃除機のダイソン、ルンバが日本で売れるのは、吸引力や自動掃除機能といった部分で国産品がかなわないからだ。逆に、日本の高級炊飯器や高級水洗トイレ、デジタル一眼レフカメラは海外で人気があり、競争力をもっている。これらの製品は、価格面でその国の国産品より高くても受け入れられる。それは「高級だから高い」と納得しているのではなく、「絶対的な品質の高さや独自性」への正当な評価なのである。

サービスの分野で言えば、日本の旅館や介護施設の手厚いサービスが受け入れられるかどうかは、高級感の問題ではなく、サービス品質の納得感の問題であろう。その国の国産品にない「絶対的な品質の高さや独自性」があれば受け入れてもらえるし、ただ手間暇コストがかかるから高価だというのでは受け入れてもらえない。

デザインの正体は「美学・価値観」

次に外国製品を敢えて買う理由になるのは、「価値観・美学・ライフスタイル」であると思う。団塊世代までの若い日本人は、アメリカのものなら何でも憧れるところがあったようだ。私が学生時代(1980年前後)にはすでに工業製品の品質では日本が上だという感覚があったが、それでもヨーロッパへの憧れは健在だった。今でも、アルファロメオのようなイタリア車、北欧の家具、パリ発・ミラノ発のファッションは人気がある。

これらは、一般的には「デザイン」の違いとして評価される。また、ブランド戦略としての伝え方の上手下手、つまり「物語性」をうまく作っているかどうかの問題が問われることも多い。しかしこうした結果論や戦略論を可能にする源泉は何かと言えば、国民性や伝統文化から醸し出される価値観や美学、ライフスタイルとしか言いようがない。

日本企業の海外進出で、早い段階からこの路線を意識していたのは「無印良品」だ。「無印良品」の目指す機能的で簡素なデザインは、どこか「わび・さび」の価値観や美学に通じる。実は「ユニクロ」にも似たようなことは言える。私などから見ても、確かにZARAやGAPのテイストには面白いものがあるが、ユニクロのデザインには日本的な美学・価値観に根差した面白さがある。冒頭に紹介した日経新聞のアンケート調査でもユニクロは「買いたい」商品でよい位置につけていた。

ついで言えば、高級水洗トイレにも、質素と清潔を求める日本文化が体現している。アジア市場では、「高級品」という観点からはアメリカやイタリアの高級デザイントイレがライバルになっているという。日本の勝負どころは、バス・トイレタリー生活全般にわたる清潔さ・心地よさであろう。そういうライフスタイルに憧れをもってもらえれば、ライバルには簡単には負けないと思う。

「地元化・土着化」が終着点

最後に、外国製品への憧れという文脈からは矛盾したような帰着点であるが、どれだけ「地元化・土着化」するかである。私たち日本人は唐の文化を輸入した昔から外国のものを「地元化」するのが得意だった。明治文明開化からの時代からで言えば、カレーライスやラーメン、かつ丼、ハンバーグ定食、スパけディなどは、洋食と言ったり中華とか言ったりしながら、その実は地元化・土着化し、ついにむしろ日本製品にしてしまった。そしてついに輸出品になることもある。最近でいえば、アメリカ生まれのコンビニなど代表例かもしれない。

クール・ジャパンの代名詞とされるマンガ・アニメも、もとは言えばアメリカの映画、アニメの地元化・土着化である。戦後日本マンガの輝かしい出発点とされる手塚治虫の『新宝島』は、マンガにハリウッド映画の手法を取り入れたものだった。手塚はディズニーに憧れ、手塚プロダクションでアニメ制作にも乗り出した。あのアトムの二つの角はミッキーマウスの二つの耳がヒントになっているという説もある。やがて日本はこのアメリカ文化を自家薬籠中にし、独自の日本文化を作った。いまやアメリカン・コミックやカトウーン(風刺画)と日本のストーリーマンガ、ディズニーアニメと宮崎駿や押井守のアニメはほぼ別物だといってよい。

外国製品を受け入れるにあたり、日常に近い分野では、より早い段階からこの土着化・地元化が問題になる。衣食住にかかわる日常品、またTV番組のアニメなど日常的娯楽では、刺激や憧れも大事だが、身の丈やこれまでの暮らし方、価値観に合致した安心感も大事だからだ。

かつてこのブログでも紹介したアニメ『巨人の星』のインド版は、野球ではなくインドで人気のクリケットに状況設定を変え、現地のアニメ制作会社と共同で制作した。日本のマンガやアニメのコンテンツがなかなか商売にならないとよく言われる。それはもしかすると、ハリウッド映画型の海外進出をイメージしてしまうからかもしれない。アジア各地の特性に応じて地元化していくことで道が開けるのではないだろうか。

無印良品やユニクロは、日本の美学・価値観をベースにしながら、世界に通用するユニバーサルなデザインを目指している。それでも、ある段階以上の普及にはやはり「地元化」が欠かせないようだ。昨年、ユニクロの海外進出をとりあげたNHKスペシャルで、インドネシア進出の苦労話が紹介されていた。イスラム教の文化が生活にとけこんでいるインドネシアでは、ユニクロのユニバーサルデザインはそのままでは通用しない。また、最近、中国の成都に無印良品の海外最大店舗を開くと発表した良品計画は、中国デザインを施した家具、中国料理で使いやすい青白磁の地域に合わせた商品も展開するという(日経新聞2014年11月7日)。

食べものを扱うコンビニやレトルト食品メーカーにとって地元化はいっそう切実であろう。コンビニでは、国内では5位のミニストップの旺盛な海外進出が有名だ。肉まんやスイーツなどのオリジナル商品を地元化していく苦労が昨年『ガイヤの夜明け』で紹介されていた。最近のニュースでは、ハウス食品のバ―モンドカレーがいろいろな試行錯誤のうえ、中国で普及の足掛かりをつかんだというニュースも報じられている(日経新聞2014年11月6日)。

受け容れる側はやがて発信する側になる。アジアで土着ブランド化したものが、日本に逆輸入されるときも来るだろう。たとえば個人的には、中国でしか売っていない無印良品の大皿など早速ほしいような気がしてくる(現物を見たわけではないが)し、クリケットになった『巨人の星』もちょっと見てみたい。日本ブランドの売り込みは、海外進出や市場拡大といったことを越えた広く深い文脈で考えたほうが、大きな道が開けていくだろう。それは私たちと隣人諸国民に共通する満足度・幸福感を創っていく努力なのである。

世界三大幸福論

イギリスの哲学者ラッセル、フランスの哲学者アラン、スイスの法学者・哲学者ヒルティの書いた「幸福論」は「世界三大幸福論」などと言われる。

三大幸福論縁起

「世界三大」というくくり方は、いつごろ誰がしたのであろうか。実はこれが判然としない。Wikipediaは、NHK・Eテレの番組でアナウンサーがそういう紹介の仕方をしていたということから、「かなり一般化されていると言える」と結論付けている。Yahoo知恵袋では「誰が言い出したのかはわかりませんが、おそらく日本人だと思います」がベストアンサーになっていた。

私の推測は、もともとは販売促進の都合ではなかったかというものだ。あるとき、紀伊国屋や丸善などの大型書店、またはいずれかの幸福論の翻訳を出した出版社が、三冊をセットで販促するために言い始めたのではないか。本は、関連書籍コーナーを作って似たような本を並べておくと、実際よく売れる。出版社の側も、これは有り難いことだ。ヒット作にあやかり並べて置いてもらうという魂胆から似たようなタイトルを考えるのはごく普通のお作法だ。

そして、販促セットとしての三代幸福論を思いついたのは、日本の業者ではないかと思う。日本は翻訳大国だ。とくにヨーロッパ系の名著の翻訳には歴史もあるし良い訳が多い。たとえば英語圏の国ではラッセルの幸福論はそのまま出せばよいが、アランとヒルティは翻訳本ですこし次元の違う本になってしまう。日本では、フランス語、英語、ドイツ語はいずれもおなじみのヨーロッパ語の好著としてフラットに並べて違和感がない。外国語の良訳が簡単に手に入ること自体が日本特有のことかもしれない。

ではいったい、いつから言われだしたのだろう。1962年~1964年の筑摩書房「世界人生論全集・全16巻」は、その気配は一切ない。もっとも、この企画は時代別・国別に編集されているから、世界三大というような発想が入り込む余地はもともとない。アランの幸福論はジッド、ヴァレリーなどフランスのほぼ同時代の作家、哲学者の作品がおさめられた11巻に入っている。ヒルティはもうひとつの代表作『眠られぬ夜のために』の抄訳がやはりドイツ語圏の同時代人の作品とあわせて12巻に。ラッセルにいたってそもそも人選からもれている。

角川書店が1967年~68年にシリーズ刊行した「世界の人生論・全12巻」の第7巻は「幸福論」をテーマにまさに三大幸福論を収録している。では仕掛け人は角川書店だったのだろうか。しかし訳者による解説には、「世界三大」を思わせる言葉使いは一切ない。なぜこの三冊なのかという説明は抜きに、三冊がどういう本であるかという説明が始まっているのである。このとき出版社の側には「世界三大」と打ち出したい意図があったのかもしれない。しかし訳者はまじめな学者だから、そういう出自のあやしい説にはふれたくない。出版社の編集者と翻訳者とのそんなつばせりあいを想像してしまう。あるいは、角川書店よりも前にも、前例があったかもしれない。もしかすると戦前までさかのぼるかもしれない。

文明病としての不幸

このように真相は判然としないのだが、いずれにせよ三大幸福論は、販促セットの性格が強く、思想内容の関連性は乏しい。しかし社会学的な背景では大いに関連性がある。三人の生没年と発表時期は次の通り。
カール・ヒルティ(1833~1909)「幸福論」全三巻 1891~1899
アラン(1868-1951)「幸福論」1925年
バートランド・ラッセル(1872-1970)「幸福論」1930年
ヨーロッパでは第一次世界大戦の文化的・世相的な影響は甚大だと言われる。年長のヒルティはこの衝撃を知らないまま生き、幸福論を発表した。アランとラッセルはその戦争を体験し、戦後に幸福論を発表している。しかし第一次大戦の衝撃というのは日本人には実はわかりにくい。ヒルティとアラン、ラッセルの間には文化的な断層があるはずで、そう思って見れば見れないこともないが、少なくとも私にはそのニュアンスはわかりかねる。

それよりも、19~20世紀初頭のヨーロッパの知識人という共通性のほうが目をひく。この時代のヨーロッパは、産業革命の成果が庶民レベルにまで浸透しはじめた時代だ。共産主義の思想も強かったが、結局、物質的豊かさを達成した西ヨーロッパでは共産主義革命は成功しなかった。ところが、物質的に豊かになっても心は必ずしも満たされない。古い宗教思想は廃れてしまったし、代わって台頭したスピリチュアリズムにはいかがわしさがつきまとう。こうして現代的な幸福論の課題がヨーロッパに現れる。ちなみに20世紀初頭はイギリスからアメリカへ覇権が移っていった時代でもある。1930年に発表されたラッセルの「幸福論」はイギリスの読者はもとより、同じ英語圏のアメリカの読者を強く意識している。冒頭からニューヨークの雑踏やアメリカの富豪が登場する。彼らがこれほど豊かになりながら幸福そうに見えないのはなぜか。

ラッセルは非常にはっきりと、「私は極端な外的不幸のない人たちにのみ注意を向けることにしたい。食と住を確保できるだけの収入と、日常の身体活動ができるほどの健康を持ち合わせているものと考えておく」と言う。相手は「文明国の大半の人々」。文明病としての不幸が現代的な幸福論のテーマだ。

アランは読者についてラッセルほどあからさまには語っていない。むしろデカルトの情念論に依拠しながら、いつの時代も変わらない人間存在の本質を語る。しかし「悲観主義は気分のものであり、 楽観主義は意志のものである」「幸福だから笑うのではない。笑うから幸福になるのだ」、こうしたアランの有名な警句は、やはり生活に窮していた中世フランスの農民のためのものではないだろう。生活に苦労がないときでも(もしくは、ないときだからこそ)不幸な感じにおそわれてしまう人を対象にしている。

ヒルティになると、この時代にはさすがのヨーロッパでも、中産階級のボリュームはそれほど大きくはなかったろう。しかしヒルティも、暇をもてあました揚げ句の神経病患者についてしばしば言及している。そしてやはり全体として言えば、物質的に満たされた後の次の段階の幸福について考えているのである。

19世紀ヨーロッパに始まる文明病としての不幸をいかに克服するか。この3人が共通して「(よい)仕事をしなさい」と警告しているのは面白い。生活に苦労しなくなると人はまず余暇を増やしたいと願う。しかしそこに最初の落とし穴があるというわけだ。

ヒルティの「二種類の幸福」

さて、私自身は、学生時代にアランとラッセルの幸福論を読み、アランはその後多分1回は読み返した。ヒルティは全三巻のボリュームに怖れをなして敬遠してきた。今回、三大幸福論を比較してみようと思い立ち、意を決してまずヒルティを通読した。ラッセルはほとんど記憶に残っていなかったので、飛ばしながらも一応最初から読み返し、アランはざっとページをおさらいしてみた。

個人的な好みで言うと、意外にも敬遠し続けてきたヒルティの「幸福論」が非常に面白かった。もちろん年齢の問題はあるだろう。本当は若い人が読むとよいと思うが、私自身、これを若い時に読んで面白いと思えたかどうかはあやしい。中高年のほうが受け止めやすいだろう。

ヒルティはキリスト教の教えと実践の中に真の幸福があると繰り返し語っている。キリスト教に関係のない人はしらけそうだが、読んでみるとそんなことはない。実際に書かれていることは、本当の幸福とは何かという問題についての広く深い洞察だ。聖書からの引用はあっても、非キリスト教徒がしらけるような神学的な議論はないから安心してよい。むしろ、キリスト教の正当な教義はほとんど無視しているように見えるくらいだ。たとえば「最後の審判」といった重要な教義でさえあっさり切り捨てているのだ。

ヒルティによれば、個人主義と快楽主義によっては人は決して幸福に至ることができない。かといって、禁欲主義や厭世主義、あるいは隠遁主義はその反動にすぎず、まやかしの賢明さである。結局、徳と一致する幸福を推奨しているのである。目指すところはアリストテレスの「エウダイモニア」や孔子の「仁」に近い。

現代の科学的な幸福論研究は、快楽主義的で要素還元論的な幸福概念こそが「正確な」幸福度だと考えがちだ。しかし、人生を静かに反省する中で見出される全体論的な幸福概念というものも存在する。それは決して不正確なイメージや思いこみではない。ではどうやってその幸福度を計測するかと言えば、素朴に「あなたは幸福ですか」と聞く従来のアンケート方式がいまのとこと一番勝っている。それはこのブログではこれまでも何回か強調してきたことだ。ヒルティの幸福論第三部冒頭の「二種類の幸福」は、現代の科学的研究にとっても大いに参考になるだろう。
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