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iPadは絆商品である

数日前のこと、食卓でレディー・ガガを絶賛し始めた娘が、その勢いでiPadからYouTubeを検索していくつかの動画を見せてくれた。レディー・ガガをほとんど知らない私に業を煮やし、実物を見せるに如かずと思ったのであろう。「歌もダンスもめちゃ面白いでしょ、すごい人でしょ、マドンナよりすごい人になると思うのよね」と言うのである。

なになに、マドンナだって? そう言われると私も黙ってはいられない。1958年生まれのマドンナには、ほぼ同世代のスターとして格別な親近感がある。そもそも娘はマドンナのことをどのくらい知っているのか。「由美かおるみたいなもの」という答えを聞いて、これはいけないと思った。たしかにあの年でレオタードで歌って踊れるのはすごい。しかしそこだけに感心してもらっては困る。そこで私もYouTubeからマドンナのデビュー曲「ライク・ア・バージン」のプロモーションビデオを探しだして娘に見せた。「ふーん、かわいかったんだね」「まあ、今で言えば『エロかわいい』だね」「ふーん」。

iPadは最初、私自身がパーソナルに使うつもりで買った。寝転がりながらウェブを検索したり、マンガをダウンロードして読んだりしていたのである。妻と娘は最初のうち私から借りて使うというスタンスだったが、次第に使う頻度が高くなり、置く場所も私の枕元から居間の棚に変わった。一家みんなで使うし、お互いの会話の糸口になるという意味では、最近わが家で買った電気製品の中で、いちばん「家電」らしい使われ方をしているのはiPadかもしれない。

「家電」は「家庭用電気製品」の略称であり、もともと家族みんなで使う電気製品という意味である。前回のコラムで紹介した映画『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズの1・2作目では、家電に初めて接したときの家族の驚きや喜びが描かれていた。1950年代後半(昭和30年代前半)に「三種の神器」(テレビ、冷蔵庫、洗濯機)と呼ばれた家電は、豊かさのシンボルであり、家族の幸せのシンボルだった。ちなみに「家具」、「自家用車」という言葉にある「家」という字も家族を意味している。日本の高度成長期とは、新しい家の中に新しい家電、家具、自家用車というモノを満たしていく時代であった。「家族消費」の黄金時代であり、家電はその代表的な商品だったのである。

ところが「1家に1台」の普及が行き渡り、「より大きな」「より高機能な」といった買い替え需要にも限界が見えてきると、電気メーカーは「個室(個人)に1台」という戦略をとりはじめる。「家電」に対して「個電」という言葉が出てきたのは1970年代の後半くらいではないだろうか。居間にあるステレオセットは「家電」で、子ども部屋のラジカセは「個電」だ。その延長にウォークマンやipodなど、いつも持ち歩くほど個人的な「個電」が現れる。テレビやエアコンも個室に1台になれば個電だ。

1980~90年代に登場していくIT製品の大半は最初から「個電」であった。パソコンや携帯電話、iPhoneなどのスマートフォンは最初から「個電」である。iPadも、基本的にはその延長にある。最初にiPad を見たときは、これは電話のできない、そのかわり画面の大きいiPhoneかなと思ったものだ。実際、機能的にはほぼそう言ってもよいだろう。ところが、この2つの条件は、iPadを「個電」ではなく「家電」として使うよう促す条件にもなっている。個人の電話として使わないから、家族で共用しやすい。iPadの画面の大きさは3~4人の観賞にちょうどよい。iPhoneでは3人以上が同じ画面を見ようとすると頭をぶつけてしまうだろう。

もちろん、iPadを「家電」と言い切ってしまうのは用途のイメージを限定しすぎであろう。いろいろな場面で、いろいろなタイプの対人関係に適用できる「絆商品」と呼んだほうがいいかもしれない。業務で言えば、ディスカッションや商談に使えるということである。実際、iPadを持ち歩く営業マンは増えてきたように思う。自社商品のプレゼンのためにパソコンを持ち歩くスタイルはかねてよりあった。しかし、パソコンは起動に時間がかかるし、ましてやプロジェクタで投影しようものなら相当の準備が必要だ。商談もとくに初期の段階では、営業マンもクライアントも手探りの状態にある。そんなときには、iPadが向いている。話の成り行きによって、必要になったときに機器を取り出せばよい。業務用でも家庭用でも、リアルなコミュニケーションには、タイミングや間というものが大事だ。「あれですよ、あれ」と思いついたときに即座に出てこないと意味がない。この点でパソコンに比べて起動の早いiPadは本当に便利だ。パソコンに比べれば重量も軽い。

重量がさらに軽くなれば、iPadの「絆商品」としての可能性はさらに広がるだろう。私も本当は常時持ち歩いて、職場の同僚でも友人でも、ちょっとした雑談に弾みや面白みを添えるために活用できたらよいなと思っている。昔の音楽や映画、テレビ番組の話はどんな場の雑談でもよく出てくるものだが、YouTubeを検索すればたいていのものを「ほらほら、これだよ」と見せることができる。

私の持っている初代のiPadは700gに近い。その後に出たiPad2はそれより100g程度軽いようだ。しかし直感的には今の半分くらいの重さにならないと、常時カバンに入れておこうという気にはなれない。キンドルはA5サイズでiPad より画面サイズは小さいものの282g。これくらいまで軽くなれば、家族の絆から友人や隣人の絆まで、いろいろな絆を促す商品として大活躍しそうな気がする。
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