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スミスの淡い共感理論

90年代と同様、いま再び、「規制改革は一丁目一番地」という声が政府から聞こえてくる。

自由化・規制緩和論者は、「見えざる手」の比喩を好む(※注)。典拠は18世紀イギリスの経済学者アダム・スミスの『国富論』だ。市場システムでは、私欲の追求が結果的に社会全体の利益をもたらす。個人はただ私欲に励めばよい、あとは「見えざる手」が調整してくれる。この不可思議な調整力の正体は「自由な競争」だとされる。それを阻害する規制や慣行にメスを入れよというわけだ。岩盤規制などとも呼ばれるので、メスというよりハンマーだろうか?

スミスは市場システムを重視した。それは間違いない。しかし、スミスにとって市場は社会とイコールではないし、利益は幸福とイコールではない。 市場は社会の一部、利益は幸福の一部だ。『国富論』より前に書かれた『道徳感情論』は、そういう意味で『国富論』よりも懐の深い社会論、幸福論だと思う。

『道徳感情論』で重視されるのは、「見えざる手」ではなく、人間の「共感能力」だ。以下は『道徳感情論』からの引用である。(A)(B)(C)は私が便宜的に付けた記号。

(A)人間社会の全成員は、相互の援助を必要としている・・・その必要な援助が、愛情から、感謝から、友情と尊敬から、相互に提供されるばあい は、その社会は繁栄し、そして幸福である。
(B)しかし・・・その社会のさまざまな成員のあいだに、相互の愛情と愛着がないにしても、その社会は、幸福さと快適さは劣るけれども、必然的 に解体することはないだろう。社会は、さまざまな人のあいだで、さまざまな商人のあいだでのように、それの効用についての感覚から、相互の愛情ま たは愛着がなにもなくとも、存立しうる。
(C)社会は、しかしながら、たがいに害を与え侵害しようと、いつでも待ちかまえている人びとのあいだには、存立しえない。
(アダム・スミス『道徳感情論』、水田洋訳、岩波文庫)

(A)では、共感が社会秩序と幸福の源泉になることが述べられる。ただし共感の力は親しさが薄まるにつれ弱く なっていく。そこで(B)では、見知らぬ人どうしがどうやって助け合う関係になれるかという問題が考察される。商業化と都市化が進みつつあったスミスの時代のイギリスでは、まさにコンテンポラリーなテーマであったに違いない。

スミスが出した答えは、害し合うよりも助け合う方が得だという効用の感覚、損得勘定だ。効用とか損得とかいうといかにも味気ないようである。しかしそういう計算ができるためには、やはり一度は相手の身になってみること、つまり最低限の共感が必要だ。この淡い共感すら持たない人びとのあいだでは、(C)で述べられているように、社会は存立しえない。

IMG20140209v2.jpg

スミスが(A)(B)で示したような相互援助的な関係は、今日ではソーシャル・キャピタル(社会関係資本)と呼ばれる。ここではとくに(B)の 「見知らぬ人とのあいだでも成り立つ淡い共感」に注目したい。その度合を確かめる参考指標として、「他人は信用できるか」と聞くアンケート調査がある。この指標で日本を見ると、どんなことがわ かってくるだろうか。

まず世界との比較をしよう。以下は「一般的にいって、人はだいたいにおいて信用できる」と答えた人の割合である。

1 デンマーク 66.5%
2 スウェーデン 66.3%
3 イラン 65.3%
4 オランダ 60.1%
5 フィンランド 57.4%
・・・
10 日本 43.1%
・・・
17 ドイツ 37.5%
18 カナダ 37.0%
19 米国 36.3%
・・・
27 イギリス 28.9%
・・・
48 フランス 21.3%
・・・
66 ペルー 10.7%
67 ルーマニア 10.1%
68 フィリピン 8.6%
69 タンザニア 8.1%
70 ウガンダ 7.8%
世界価値観調査(World Values Survey)2000

ちょっと古いデータだが、少なくともこの段階での日本は世界70か国中の10位で悪くない。トップ5には北欧系の国々が並ぶ。しかし、ドイツ、フランス、イギリス、米国、カナダといった経済規模 の大きい先進国の中では、日本が一番高い。

次に時系列で比べよう。以下は日本国内の調査で、「たいていの人は信頼できる」と答えた人の割合の推移だ。()内は前回比の増減。

1978年 26%
1983年 31%(+5)
1988年 35%(+4)
1993年 38%(+3)
1998年 33%(▲5)
2003年 33%(±0)
2008年 30%(▲3)
統計数理研究所「日本人の国民性調査」

これで見ると、70-80年代に上昇した後、90年代以降、下降し続けている。

これらのデータから、日本社会のソーシャルキャピタルが世界的に見てそう悪くない水準にあること、しかしながら、90年代以降に劣化しているかもしれないことが示唆される。それをセンセーショナルに告発したのが「無縁社会」という流行語なのだろう。

私 たちは、90年代の反省を生かして、一方に偏りすぎないバランス感覚をもつべきだろう。規制改革したほうがいい領域があるのは確かだが、「一丁目一番地」は言い過ぎだと思う。市場は決して万能ではない。アダム・スミスは『国富論』と同時に『道徳感情論』を書い た複眼思考の人であった。

※注 竹中平蔵のポリシースクール
http://www.jcer.or.jp/column/takenaka/print196.htm
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