スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

感じる幸せと考える幸せの違い

行動経済学への貢献でノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンは本来、心理学者だ。自伝の中では、心理学者を目指すようになったことと関 係のありそうな子ども時代の印象深いエピソードを二つあげている。

カーネマンは富裕なユダヤ人の家庭に生まれた。幼いころ、植物や動物に接する機会はほとんどなかったが、うわさ話の上手だった母親の影響で、人間 に対する好奇心は大いに刺激されたらしい。ある人はとてもいい人だし、ある人はとても悪い人だ。しかし完璧ないい人はいないし、完全な悪人という のもまたいない。

もう一つのエピソードも人間の複雑さに関係する。小学生くらいのころ、パリに住んでいたカーネマン一家は、ナチスドイツによって迫害を受けること になる。当時、ユダヤ人の子どもは五芒星のついたセーターを着ることを義務付けられ、夜遅い時間には外を歩くことを禁止されていた。ある日、友達 の家に遊びに行っていたカーネマンはうっかり遅い時間になってしまった。そこで、ユダヤ人であることを隠すためにセーターを裏返して着て、帰途に ついた。

ところがある街角で、ナチスの将校の目にとまってしまう。将校は、生きた心地のしないカーネマンを手招きし、やさしく抱きしめた。そして小さな男 の子の写真を見せたのである(多分、自分にも同じくらいの年恰好の子どもがいるということだったのであろう)。

20140421n.jpg

カーネマンの心理学の背景には、人間の複雑さを解明したいという思いがずっとあるのだろう。後にノーベル賞受賞で評価されたのは、人間の判断がいかに間違えるかという研究だ。情報をいちいち分析するのでなく、ある種のパターンや経験則にあてはめて処理する人間の判断(ロジスティクスに対してヒューリスティクスと呼ばれる)は、日常的に役に立っている。しかし、たとえば一部から全体を決めつけてしまう「代表性の誤謬」などの間違いもまたここから生じる。偉大な直観や熟練の源泉でもあるとともに、とんでもない間違いも犯すと源泉でもあるヒューリスティクスの複雑さにカーネマンは魅せられたのだろう。

比較的近年、カーネマンは幸福度の研究にも取り組んでいる。ここで紹介したい論文はそのうちの一つ。やはり人間の複雑さの一側面が浮かび上がってくる面白い論文だ。原文は下記からダウン ロードできる。

Survey Method for Characterizing Daily Life Experience: The Day Reconstruction Method
http://www.uvm.edu/~pdodds/research/papers/others/2004/kahneman2004a.pdf

主観的幸福度の研究では普通、全体として幸福か、生活に満足しているかという総合判断のデータが使われる。これに対して、たとえば一日のうちで、何 をしているどんなときに人は幸福を感じているのかを研究する方法としてESM(experience sampling method )という方法があった。しかしこの方法は、何かをするたびに自分がどう感じているかを記録しなければならず、被験者の負荷が大きい。

そこで、カーネマンらは、DRM(The Day Reconstruction Method )という新しい手法を開発した。簡単に言えば、前日の回想を日記につけるのである。論文では、約1000人の働く女性を対象にした調査に即して、この手法 を説明している。

回答者は、前日について短い日記をつけるよう頼まれる。1日を映画のようにいくつかのシーン又はエピソードの連続として考え、それらに思い出しや すいよう名前をつけてもらい、どれくらいの間尺(時間)かを答えてもらう。回答者の平均エピソード数は14.1、1エピソードあたりの平 均時間は61分であった。そして回答者はそれぞれのエピソードについて、「いつのことか」「何をしていたのか(16の行動項目から選択)」「そのときどう感じていたか (12の感情記述から複数選択)」「どこでしたのか」「誰と一緒だったか」を書き込んでいく。結果の一部を以下に抜粋引用する。

カ^ネマン


この調査から、子育て体験の感情評価ついて興味深い事実が明らかになった。「子どもと一 緒にいる時間」は、旅行に行ったり、友人と一緒に過ごしたりといった時間に匹敵するくらい楽しい肯定的な体験として評価されている。ところが同じ 時間が「何をしていたか」という見方、つまり「子どもの世話をしている時間」への評価になると、掃除や通勤といった最低評価の項目とさほど変わらない くらい低くなるのである。

子どもと一緒にいる時間をどう感じるかと聞かれれば、人は個々の体験よりも総合的な判断に重きを置くだろう。もしネガティブに感じを持っているとしても、それは世間体や倫理的なバイアスで手加減されてしまう可能性がある。一方、子育てに追われている時間をただどうであったかと聞かれる場合は、疲れたとかしんどかったとかいうネガティブな感情もバイアスもなくそのまま答えるだろう。

ここで論文を離れて私の感想を言えば、前者は「考える幸せ」、後者は「感じる幸せ」だ。論文では前者の判断にはバイアスがかかっている(正直な回答ではない)といった分析がされているが、私は必ずしもそうは思わない。自分の経験から言っても、子育てにはしんどい、めんどうくさいことが多いが、そのことと、子どもが人生の価値の源泉だといった判断は矛盾することなく同居しているものだ。

さて論文に戻ると、こうした二つの幸せと客観的な生活環境はどう関係しているのかという問題 も検討されおり、やはり興味深い結論にいたっている。客観的な生活環境は、「考える幸せ」(生活満足度)には多少の影響を与えているが、「感じる幸せ」(感情体験)に はほとんど影響を与えていない。

「感じる幸せ」に影響を与えているのは、(1)睡眠不足や抑うつ感などの性格特性、(2)仕事で時間に追 われている程度など現在の状況の中での局所的特徴、の二つだ。客観的な生活環境は、それについて考え てみるとき、つまり「考える幸せ」のレベルではじめて重要になる。幸福度(well-being)を質問されたとき、どの程度恵まれているかを評 価するよう促されたときに、始めて意識にのぼるのである。

「感じる幸せ」と「考える幸せ」、どちらが真実なのか。幸福とは、時事刻々の幸福感の積分値なのか。それとも、あるとき立ち止って自らを省みたときに始めてわかる何かなのか。こういう迷路に入ってしまうのが、人間の複雑さの面白いところであり、幸福度研究の面白いところなのである。

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。