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世界の高齢化で「人的資本」の時代が来る

英誌『The Economist』の2014年4月26日号が世界の高齢化を特集していた。表紙にはベンチに座る高齢夫婦のうしろ姿、そしてうす暗い色調の空に「A billion shades of grey(10億人の灰色の影)」というキャッチ。

高齢化が一国に及ぼす影響の議論はよく目にする。しかし世界的な高齢化が世界の経済や社会にどんな影響を及ぼすのかという議論はまだあまりされていないように思う。そういう意味で新鮮だったので概要を紹介し、最後に簡単な私見を述べたい。

まずは世界の人口動態の予測から。20世紀に世界の人口は2倍になった。今世紀、人口の伸びは抑制されつつあるが、65歳以上人口は今後25年で2倍になる見込みだ。国連の推計によれば、現在、65歳以上人口は約6億人。総人口に対する比率は約8%で数十年前と大差ない。ところが2035年には11億人以上、比率も13%になる。

老年人口依存率(25歳〜64歳人口に対する65歳以上人口の比率)は、さらに速く上昇する。2010年には100人に対し16人、これは1980年と大差ないのだが、2035年には26人に上昇する。よく知られているように富裕国ほど高齢化は進んでおり、日本は43人から69人、ドイツは38人から66人、相対的には出生率の高いアメリカでさえ、70%以上上がって44人に増える。新興国も実は同様だ。中国は15人から36人と二倍。ラテンアメリカは14人から27人に増える。大いなる例外は南アジアとアフリカで出生率が依然として高い。しかしそれも全体の傾向を変えることはできない。新興国全体では2035年には今の二倍の22人になる。

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人口動態が経済に影響を与えるチャネルには、主に1)労働力人口の変化、2)生産性の変化、3)貯蓄パターンの変化の三つがある。『The Economist』はここで、高度な教育を受けた高齢者とそうでない高齢者という区別に注目する。これはこの記事のいちばん重要なポイントだと思う。

一点目の労働力人口の減少は、働く高齢者が増えればある程度くいとめることができる。ちなみに20世紀末にはこういう問題の影響は軽微だった。43の富裕国を対象にした分析によれば、1965年から2005年にかけて、平均的な正式退職年齢は6か月も上がっていないのに平均寿命は9歳伸びている。しかし世紀をまたいで状況は変わった。今や65歳以上アメリカ人のほぼ20%が働いている。その割合は2000年には13%だった。

なぜ働く高齢者が増えたのか、最も重要なファクターとして登場するのが教育なのである。高い教育を受けた高齢者ほど長く働く傾向にある。アメリカでは、62歳から74歳で、高卒は32%しか働いていないのに対して、専門職学位の人は65%が働いている。ヨーロッパでも同様だ。スキルの低い労働者は年を取るに連れてつらくなるタイプの労働が多く、引退が魅力的だ。一方、より高いスキルをもった労働者は、報酬も高いし、働き続けるインセンティブがある。彼らはまた平均的により健康だし寿命が長い。

もっとも、60代以上で働いている人の割合はいずれにせよ若い世代よりは低い。つまり高齢者の労働参加率が上がっても労働力人口全体の成長にはならない。そこで第二に、生産性をどこまで上げられるかの問題になる。残念ながら、ほとんどの肉体能力および大半の認知能力は年齢と共に落ちる。一方、どの年齢でもより高い教育はより高い生産性に結びつく。教育程度の高い高齢者の成長は、労働力人口の縮小を打ち消すだろう。

これは先進国にはうれしいニュースだが低開発国では事情が違う。たとえば中国では50から64歳の労働者の半数近くは満足な初等教育すら受けていない。これらのスキルのない人たちが老いれば生産性は大きく落ちこむ可能性がある。50歳以上の人の認知能力(認知適合依存度cognition-adjusted dependency ratio)を富裕国と新興国の両方で調査した結果によれば、中国よりも北部ヨーロッパのほうが成績がよいし、インドよりアメリカのほうが成績がよい。

こうしてスキルと教育がいかに長くいかに良好に働くかを決めるとしたら、第三のチャネル、貯蓄にも大きな影響がありそうだ。アメリカの男性の収入でみると、教育程度の高いベビーブーマーが60台になった2000年以来、60ー74歳の収入が全体に占める比率が7.3%から12.7%へ上がった。彼らの多くは、おそらく生涯の終わりまでに引き出す以上に貯蓄するだろう。

先進国で貯蓄がそんなに落ちないとすれば、もし生産的な投資機会が見つかれば世界経済は長期成長の軌道にのる可能性がある。その機会のある場所は原則的に二つ、一つは先進国経済の急速なイノベーション。もうひとつは、より若くより貧しい新興国経済の早い成長だ。しかしいずれも見通しは厳しい。

成功した新興国の多くはいま、外貨に依存し過ぎることに慎重になっているし、その次の台頭が期待されている南アジアやアフリカの経済は、資本の巨大なフローを吸収するにはまだ小さすぎる。

一方先進国では、とくにコンピューターテクノロジーについて明確なイノベーションがあるにもかかわらず、生産性の向上も成長も投資もゆるいテンポだ。その背景には構造的変化がある。資本財価格、とくにコンピュータ制御を伴う資本財の価格は大幅に低下している。今日のイノベーションは製造業時代に比べればより少ない投資額ですむのである。高齢者の消費変化もある。高齢になると、住宅のようなヘビーな投資を要求するものを買わない。ヘルスケアや旅行のような多くのサービスも巨額の投資を伴わない。

こうして考えられる未来の姿は、より低い成長、過度の貯蓄、そして非常に低い利子率だ。その中で、スキルのある高齢者が増える一方、すべての世代にわたりスキルの低い人の立場は悪くなっていく。教育程度の低い仕事のない若者が貧しいまま社会の底辺で仕え、スキルの高い高齢者になるチャンスは訪れない…。

以上が概要である。最後は暗い結論で表紙カバーのイメージを裏切らないわけだが、このへんはシナリオ次第のように思う。たしかに、20世紀的な経済成長を前提にする限り、成長率の鈍化と格差の固定化といったシナリオになってしまうかもしれない。

しかし、これは見方を変えれば、21世紀的な経済成長への大転換を象徴する事態かもしれないのである。とくに機械への投資が規模的にも収益率の点でも小さくなっていくということ、一方、高い教育によって人間は高齢化しても生産性を上げることができるということを結びつけて考えると、魅力的な未来シナリオを描けそうな気がする。活躍するのは先進国の高齢者だけではない。記事では新興国・途上国の高齢者は高い教育を受けていないと切り捨てていたが、人間は何歳になっても再教育できるかもしれないではないか。人間への投資を中心とする新しい経済だ。

経済が変われば経済学も変わるだろう。たとえば、東大社会科学研究所の大瀧雅之氏の「人的資本のq」(岩波新書『平成不況の本質』)などは新しい経済学の萌芽を感じさせてくれる。

経済学には、「トービンのq」という指標がある。これは経営資源を機械設備などの物的資本のかたまりとして評価したときの価値とその企業の株価総額の比である。

  トービンのq=合理的株価総額÷資本の置換費用

これに対して、「人的資本のq」では、企業は社員同士のチームワークで機能するので、機械設備はむしろ補助的なものだとする。株主主権ではなく従業員主権の前提に立つわけだ。すると、株価の計算では「経費」だった実質賃金の大きさが「目的」として評価されるというちょっと面白いことになるのである。

 人的資本のq=熟練労働の賃金総額÷労働の置換費用

この考え方をマクロ経済に応用するとどうなるのかということがとても興味深い。たとえば設備投資ではなく労働分配率の高さが成長要因になるとかいう話になると(従来の常識とは正反対で)楽しいのだが、素人の思いつきを書きつけるのは控えよう。「2035年の経済学」が待たれる。

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