マイルドヤンキーのマイルドな幸せ
マーケティング・アナリストの原田曜平さんが「マイルドヤンキー」という概念 を提唱している。ボンタン穿いて髪はリーゼントというような かつてのヤンキーは絶滅寸前だという。マイルドヤンキーは、郊 外や地方都市 に住む見た目はフツーの若者である。ただし彼らは先端的なオシャレやIT化・ グローバル化とかには興味がない。オシャレなレストラン より普段着で行ける イオンモールがいい。華やかな都会より地元がいい。ずっと地元で暮らしたい。 所得は低いが消費意欲は高く、自動車やバイク、 酒、タバコ、パチンコなどに 興味があり、カネを使う。仲間愛、家族愛が強い、などなど。(ウイキペディア及び関連リンク記事による)

なるほどと腑に落ちるところが多々あった。以下ではマイルドヤンキーの起源と時代的な意味を私なりに考えてみたい。
変遷する「不良青年」の姿
昔から優等生人生とは異なるヤンキー的人生というのがあった。やや 図式的に対比させれば、優等生人生の人生観は「上昇志向・都会志向」 だ。学 校生活にうまく適応し、進学や就職で都会に出る。職種はホワイトカラー、そし て結婚は遅い。これに対してヤンキー人生は「水平志向・地元志 向」と言える だろう。学校生活に適応できなくて、過激な場合は反社会的・暴力的になる。地 元で就職し、職人的仕事や客商売につくことが多く、結婚 も出産も早い。
1970年代の不良とかツッパ リとか呼ばれていた若者たちは、かなり反社会的・暴力的なイメージが強かった。時 代とと もに、そうした傾向は薄らいでいき、昨今のマイルドヤンキーに至ったということになる。ヤンキーおよびそこから派生した用語が登場した順番を簡単 に整理すると 以下のようになる。
1970年代 暴走族、ツッパリ、不良
1980年代 ヤンキー、レディース
1990年代 ヤンママ、チーマー、ギャング、ギャル男
2010年代 マイルドヤンキー
転換点になった『木更津キャッツアイ』 と 『下妻物語』
ヤンキーのマイルド化は実際にはゼロ年代(2000年からの10年間)から始まっている現象だと思う。それを象徴する当時の人気ドラマが『木更津キャッツアイ』 (2002年TBS)と 『下妻物語』(2004年映画)ではないだろうか。この二つのドラマは、1980年代のトレンディドラマと違って舞台もお話も反都会的なところがうけたのである。舞台になっている千葉県木更津と茨城県下妻はいずれも関東の地方都市。地元の友人の絆を主題にしたコミカルなドラマで、都会は憧 れの 対象ではあっても住みたいところではない。紆余曲折はありながらも、地元が好 きだ、地元で暮らすのが幸せだという価値観に落ち着く。
『下妻物 語』はヤン キー少女(土屋アンナ)とロリータファッション少女(深田恭子)の友情を描 く。ロリータファッション少女は「田んぼの真ん中にスーパー しかない」よう な地元がいやで、都会に憧れているが、最終的には(チャンスがありながらも) 都会には出ない。ヤンキー少女との地元の絆を選ぶので ある。
一方、『木更津キャッツアイ』は、余命半年と宣告された主人公の若者(岡田准 一)と地元の高校時代からの仲間たちのちょっとおかしな日常を描いて いる。 主人公の若者は一度も東京に出たことがなく、初めて訪れた東京の臨海部で「何 これ!未来都市??」と叫ぶシーンもあった。彼らの場合はいわ ゆるヤンキー ファッションではないが、それだけに今のマイルドヤンキーの先駆者のような気がする。
ちなみに『木更津キャッツアイ』は脚本家クドカン(宮藤官九郎)を有名にした作品でもある。クドカンはこの作品の前の『池袋ウェストゲストパーク』(2000年)ではギャングの若者たちを描いているし、最近の『あまちゃん』(2013年)では、主人公の母親の若い頃を田舎のヤンキー少女に設定している。ヤンキーはクドカンにとって作品創造のインスピレーションの源泉なのだろうか。「地元に帰ろう」というこのドラマのテーマ自体、まちおこしとヤンキーの融合なのかもしれない。
日本人全体が「水平志向・地元志向」に
さてマイルドヤンキーの台頭がゼロ年代半ばくらいだとすれば、彼らは世代的には団塊ジュニア よりは下で、1980年代半ば生まれ以降、新人類ジュニア世代に近 い。経済的に十分に豊かになってからの時代に育っているから、ヤンキー的といっても素直で穏やかな子が多いのだろう。もっとも雇用や将来の出世などの見通しという点では恵まれた時代ではない。しかしそういう面では高望みせず、地元の人間関係を大事にして生きていけば、そこそこに幸せになれる。
こういう水平志向・地元志向な価値観は、マイルドヤンキーに限らず、普通の子やある程度学歴の高い子も含めて現代の若者に共通するものだ思う。内閣府「世界青年意識調査」を見ると、若者の地元志向はとくにゼロ年代から高まっている。2003年から2007年にかけて、「ずっと今の地域に住んでいたい」若者は33.2%から43.5%へ、「いま住んでいる地域が好きだ」という若者は40.6%から52.5%へ増えているのである。
若者だけではない。NHK放送文化研究所の調査では、「身近な人たちと、なごやかな毎日を送る」という生活目標を選択する人が着実に増えており、1973年には30.5%だったのが2003年には41.4%、2008年は45.1%に達した。この数字はずっと増えているのだが、やはりゼロ年代半ばに大きく増えているのが注目される。「身近な人たち」とは、家族や友人、近隣住民などであろう。数理統計研究所の「日本の国民性調査」によれば、「家庭に満足」と答える人の割合は、1978年の54%から2003年の35%まで下がり続けてきたが、2008年には反転上昇、42%になっている。
かつては大人から子どもまで、日本人全体が優等生的な「上昇志向・都会志向」をメジャーな価値観としていたが、今や「水平志向・地元志向」のほうがメジャーになってきたわけだ。
【2014/08/04追記―ハッピー父さんはマイルドヤンキー】
雑誌『プレジデント』2014年8.18号(7/28発売)の特集「年収300万父さんのリッチ経済学」が面白い。とくに前半、原田燿平さんが監修している「ハッピー父さん」の分析が面白い。幸福度は年収に比例するが、一方で、年収1000万円なのに幸福でない人、逆に年収300万円で幸福な人も存在する。そこで前者を「不機嫌父さん」、後者を「ハッピー父さん」として、ハッピー父さんのライフスタイルをあぶりだしている。ハッピー父さんは家族と過ごす時間が長く、地域社会とのつながりもきちんと持っている。要するに、マイルドヤンキーのサラリーマン版なのだ。

なるほどと腑に落ちるところが多々あった。以下ではマイルドヤンキーの起源と時代的な意味を私なりに考えてみたい。
変遷する「不良青年」の姿
昔から優等生人生とは異なるヤンキー的人生というのがあった。やや 図式的に対比させれば、優等生人生の人生観は「上昇志向・都会志向」 だ。学 校生活にうまく適応し、進学や就職で都会に出る。職種はホワイトカラー、そし て結婚は遅い。これに対してヤンキー人生は「水平志向・地元志 向」と言える だろう。学校生活に適応できなくて、過激な場合は反社会的・暴力的になる。地 元で就職し、職人的仕事や客商売につくことが多く、結婚 も出産も早い。
1970年代の不良とかツッパ リとか呼ばれていた若者たちは、かなり反社会的・暴力的なイメージが強かった。時 代とと もに、そうした傾向は薄らいでいき、昨今のマイルドヤンキーに至ったということになる。ヤンキーおよびそこから派生した用語が登場した順番を簡単 に整理すると 以下のようになる。
1970年代 暴走族、ツッパリ、不良
1980年代 ヤンキー、レディース
1990年代 ヤンママ、チーマー、ギャング、ギャル男
2010年代 マイルドヤンキー
転換点になった『木更津キャッツアイ』 と 『下妻物語』
ヤンキーのマイルド化は実際にはゼロ年代(2000年からの10年間)から始まっている現象だと思う。それを象徴する当時の人気ドラマが『木更津キャッツアイ』 (2002年TBS)と 『下妻物語』(2004年映画)ではないだろうか。この二つのドラマは、1980年代のトレンディドラマと違って舞台もお話も反都会的なところがうけたのである。舞台になっている千葉県木更津と茨城県下妻はいずれも関東の地方都市。地元の友人の絆を主題にしたコミカルなドラマで、都会は憧 れの 対象ではあっても住みたいところではない。紆余曲折はありながらも、地元が好 きだ、地元で暮らすのが幸せだという価値観に落ち着く。
『下妻物 語』はヤン キー少女(土屋アンナ)とロリータファッション少女(深田恭子)の友情を描 く。ロリータファッション少女は「田んぼの真ん中にスーパー しかない」よう な地元がいやで、都会に憧れているが、最終的には(チャンスがありながらも) 都会には出ない。ヤンキー少女との地元の絆を選ぶので ある。
一方、『木更津キャッツアイ』は、余命半年と宣告された主人公の若者(岡田准 一)と地元の高校時代からの仲間たちのちょっとおかしな日常を描いて いる。 主人公の若者は一度も東京に出たことがなく、初めて訪れた東京の臨海部で「何 これ!未来都市??」と叫ぶシーンもあった。彼らの場合はいわ ゆるヤンキー ファッションではないが、それだけに今のマイルドヤンキーの先駆者のような気がする。
ちなみに『木更津キャッツアイ』は脚本家クドカン(宮藤官九郎)を有名にした作品でもある。クドカンはこの作品の前の『池袋ウェストゲストパーク』(2000年)ではギャングの若者たちを描いているし、最近の『あまちゃん』(2013年)では、主人公の母親の若い頃を田舎のヤンキー少女に設定している。ヤンキーはクドカンにとって作品創造のインスピレーションの源泉なのだろうか。「地元に帰ろう」というこのドラマのテーマ自体、まちおこしとヤンキーの融合なのかもしれない。
日本人全体が「水平志向・地元志向」に
さてマイルドヤンキーの台頭がゼロ年代半ばくらいだとすれば、彼らは世代的には団塊ジュニア よりは下で、1980年代半ば生まれ以降、新人類ジュニア世代に近 い。経済的に十分に豊かになってからの時代に育っているから、ヤンキー的といっても素直で穏やかな子が多いのだろう。もっとも雇用や将来の出世などの見通しという点では恵まれた時代ではない。しかしそういう面では高望みせず、地元の人間関係を大事にして生きていけば、そこそこに幸せになれる。
こういう水平志向・地元志向な価値観は、マイルドヤンキーに限らず、普通の子やある程度学歴の高い子も含めて現代の若者に共通するものだ思う。内閣府「世界青年意識調査」を見ると、若者の地元志向はとくにゼロ年代から高まっている。2003年から2007年にかけて、「ずっと今の地域に住んでいたい」若者は33.2%から43.5%へ、「いま住んでいる地域が好きだ」という若者は40.6%から52.5%へ増えているのである。
若者だけではない。NHK放送文化研究所の調査では、「身近な人たちと、なごやかな毎日を送る」という生活目標を選択する人が着実に増えており、1973年には30.5%だったのが2003年には41.4%、2008年は45.1%に達した。この数字はずっと増えているのだが、やはりゼロ年代半ばに大きく増えているのが注目される。「身近な人たち」とは、家族や友人、近隣住民などであろう。数理統計研究所の「日本の国民性調査」によれば、「家庭に満足」と答える人の割合は、1978年の54%から2003年の35%まで下がり続けてきたが、2008年には反転上昇、42%になっている。
かつては大人から子どもまで、日本人全体が優等生的な「上昇志向・都会志向」をメジャーな価値観としていたが、今や「水平志向・地元志向」のほうがメジャーになってきたわけだ。
【2014/08/04追記―ハッピー父さんはマイルドヤンキー】
雑誌『プレジデント』2014年8.18号(7/28発売)の特集「年収300万父さんのリッチ経済学」が面白い。とくに前半、原田燿平さんが監修している「ハッピー父さん」の分析が面白い。幸福度は年収に比例するが、一方で、年収1000万円なのに幸福でない人、逆に年収300万円で幸福な人も存在する。そこで前者を「不機嫌父さん」、後者を「ハッピー父さん」として、ハッピー父さんのライフスタイルをあぶりだしている。ハッピー父さんは家族と過ごす時間が長く、地域社会とのつながりもきちんと持っている。要するに、マイルドヤンキーのサラリーマン版なのだ。