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セカイ系からムラ系へ

今の若者たちにとって仲間や友人は、幸福の源泉だ。これは数年前から若者論、消費論の一部で指摘されてきたことである。消費社会研究家の三浦展は「もはやモノを買うことでは幸せになれない若者は人間関係の消費へ向かう」と早い段階から指摘していた。若者の仲間内・地元志向な点に注目して「新村社会」と名付けたのは博報堂の原田曜平だった。

最近出た古市憲寿の『絶望の国の幸福な若者たち』は、この路線の若者論の決定版になるかもしれない。何しろ1985年生まれ、26歳という若者の著者が若者を分析し、「まるでムラに住む人のように、『仲間』がいる『小さな世界』で日常を送る若者たち」をややシニカルにではあるが肯定的に語っているからである。

古市がまず強調するのは、今の若者の生活満足度、幸福感の高さだ。格差社会論の文脈では若者はかわいそうだという議論が多かったが、当の若者たちは幸せなのだ。たとえば内閣府の『国民生活に関する世論調査』によれば、2010年の時点で、今の20代の約7割は現在の生活に「満足」していると答えている。とくに男子については過去40年間で15%近くも満足度が上昇している。

一方で、古市は若者たちの不安感にも注目する。「日頃の生活の中で、悩みや不安を感じているか」という項目を見ると、2010年の時点で、20代の63.1%が悩みや不安を感じている。20代の「不安度」は、1980年代後半には4割を切っていたが、90年代前半から上昇している。今の生活、身近な生活には満足だし幸福だけれど、未来や社会など大きな問題になると不安だというわけだ。

身近な生活を幸福にしてくれるのは、仲間の存在だ。内閣府の『国民生活選好度調査』(2010年)は、10点満点で「幸福度」と「幸福度を判断する際、重視した事項」を聞いている。国民全体では「健康状態」と答える人が多いが、15~29歳の若者では60.4%が「友人関係」と答えていて、他の世代と比べて突出して高いのである。

古市はワールドカップで盛り上がったり、震災ボランティアに駆けつける若者たちの生態をレポートした後、最後の章で再び若者の幸福の問題に立ち戻る。古市がたどりついたのは、幸せの条件を、「経済的な問題」と「承認の問題」の二つに分けて考えるということのようだ。

今の日本は史上まれに見る豊かな社会を実現しているが、将来については高齢化や財政破たんなど不安が大きい。個人レベルでも同じようなことが言える。今なら親と同居していればフリーターや非正社員でも経済的に困ることはあまりないかもしれないが、生涯賃金や将来の親の介護などを考え始めれば不安が大きいだろう。しかしそういった「経済的な問題」は未来の問題だ。これに対して、友人に認められるか、仲間内に居場所を持つかといった「承認の問題」は現在の問題である。かくして、現在の幸せ感と将来への漠然とした不安を抱えて生きていく。自身が若者である当事者の古市の言葉を引用すれば、「なんとなく幸せで、なんとなく不安。そんな時代を僕たちは生きていく」というわけだ。

仲間・友人による承認問題の特徴をもう少しよく考えてみるために、恋愛・恋人による承認問題と対比させてみよう。「世界は二人のために」という古い歌があったように、恋愛は純化し、閉じていこうとする。2000年前後のオタク文化に登場した「セカイ系」の物語は、恋愛・恋人中心の「承認の物語」であったと言えるだろう。「無力なボク」は「世界の敵と戦う彼女」との間に絶対的な相互承認の関係を作ろうとする。そこにはまったく第三者の介在を許さない。セカイ系とはやや皮肉なネーミングで、そこで承認を求めあう男女にとっては、世界の存在すら本当はどうでもいいのである。

これに比べれば、古市が示したような仲間・友人による「ムラ」のほうがまだ開放的だし、現実的だ。もちろんムラそれ自体は狭い世界だ。今の若者たちは、そんなムラを楽しみながらも、時に「なにかをしたい、このままじゃいけない」という思いにかられる。古市によれば、「ムラムラさせるもの」を求めている。震災ボランティアなどはそんな若者たちにとって格好の出口であったという。昔ながらの「村」でなく「ムラ」と片仮名で呼ぶことに実質的な意味があるとすれば、仲間をどんどん増やしていく柔軟性、開放性ではないだろうか。
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