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豊かな社会の進化論―「すみわけ」 

最近、前川製作所(以下、マエカワ)という会社の存在を知った。「定年のない会社」というテーマで調べているうちに出て来た名前なのだが、調べているうちに、ただものではないというか、深い哲学性に裏打ちされた会社であることを知った。

創業1924(大正13)年、製氷冷蔵業からスタート。深川の町工場だったマエカワは現在、従業員3000名。国内57拠点、海外92拠点で展開し、産業用冷凍庫では国内トップ、冷凍船用冷蔵庫ではグローバルで80%のシェアだ。

私が感じ入ってしまったのは、この会社の経営理念とされている、『「すみわけ」による無競争社会の実現』だ。マエカワはそれを実現するために、独自の技術にこだわる。

三重の成長

大量生産品になると競争は避けられないが、限定された二―ズに高い技術力で対応する作戦に出れば、結果的に競争しなくてもよい。これは普通に経営戦略用語として言えば「高付加価値化」とか「ニッチトップ」とかいうものであろう。

しかしマエカワの「すみわけ」には戦略にとどまらない哲学的な深みがある。一定の経済的な豊かさを達成した社会において、人や企業が成長し続けるとはどういうことか。そういう深い問題意識がある。創業者の二代目にあたる前川正雄さんのインタビューやコラムなどをすこし読んだだけでも、それは伝わって来る。

「すみわけ」は、ぼんやりしていて実現できることではない。他にはまねできない特長があるから居場所を確保できるのである。ではその特長はいかにして創造されるか。それは、①社員(個人)、②会社という共同体、③会社と顧客による共同体という三者の成長を重ねあわせたところに生まれる。「定年がない」ことも、人は経験を重ねるほど特長が明確になるので、それを会社の成長に生かすという関連性の中に位置づけられる。以下、前川正雄さんご自身の言葉を引用する。

「前川製作所の新入社員は全員が、3年間寮生活を通して共同体を学ぶと同時に、3年生になると自分が今後30年間は何を目指すかという論文を書いて研修を終えます。これは、自分の特長を出すことにより、所属している共同体の特長が出て、これが企業の特長となり、その結果として、すみわけの世界を作りつづけ、ハイテク技術製品を世に出すことになり、無競争社会に近づくと考えているからです。競合とのフリクションを極力減らし、その分、市場との共創にエネルギーを回そうというのが、基本戦略だからです。幸い、大量生産、大量販売の20世紀は先進国内では終わり、市場は20世紀で供給できていない技術を求めています。これは膨大な市場を形成するのでしょうが、このハイテク性を提供するためには、自社だけでなく、顧客や関係する会社を含めた共同体の中から創り出すしかありません。それは世界に二つとない智恵(技術)でなくてはなりません。」(深川高年齢者センター プラチナ・ニュース創刊号での理事長あいさつ)

3年間寮生活で「共同体を学ぶ」とは、知恵を出し合い、意見をすりあわせ、共同体の技を創造していくための訓練のようだ。イノベーションをおこしていくにあたって、個人の知には限界があるので、どう集合知にしていくかが問われる。個人の目線に即して言えば、「仕事においてある目的に向かって仲間と知恵を出し合い、何かを創造していくということは、単に生活の糧を得るだけでなく、学ぶことも多く、本来楽しいことであるはずです」(同上のコラム)ということになる。「エンドレスな人の成長」のために仲間や共同体は欠かせない。

今西進化論の「すみわけ」

前川さんは、若いころから禅にひかれたことに関係して、西田哲学にも言及されている。「禅とは自分を無にすること。自分が見たものをそっくりそのまま、相手に伝える。西田幾多郎のいう純粋経験の交換であり、これこそが日本の禅の精神です」。
http://president.jp/articles/-/12364

マエカワの経営理念は禅や西田哲学に一脈通じるところがあるようだ。しかし「すみわけ」を標榜しているという点では、ここで今西錦司の進化論との関係に触れるべきだろう。西田幾多郎と今西錦司は広い意味での「京都学派」に属する。「京都学派」の一つの大きな特徴は、西洋の学問の紹介や後追いではなく、西洋と東洋を融合しながら、独創的な学問やオリジナルな思索を追求した点にあると言えるだろう。

今西進化論などとも言われる今西の「すみわけ」理論は、『生物の世界』(1941年)に詳しい。今西は、ダーヴィン進化論の「自然淘汰」「適者生存」「突然変異」などに真正面から反対を唱えた。

ダーヴィン進化論では、個体はつねに厳しい生存競争にさらされている。進化の出発点は個体の「突然変異」だ。環境に対してより優れた適応能力をもつ個体が結果的に生き残り(適者生存)、他は淘汰されて消え去る(自然淘汰)。

しかし今西によれば、生物の個体は無益な抗争を避けることを行動の大原則にしている。渓流の石を持ち上げて裏返すと、うじゃうじゃといろんな生き物がうごめいている。彼らは闘争しているのではなく、すみわけているのである。

すみわけは、同じ種の個体同士が共同生活するためにも行われるし、異なる種が共存するためにも行われる。また「縄張りを守る」といように空間的なすみわけもあるし、同じ場所でも利用する時間帯を分けるすみわけもある。同じ獲物をねらっていながら、食する場所が違うというようなすみわけもある。

今西によれば、ダーヴィン進化論は自然観察によって得られた事実ではない。すべてを「個人」とその「競争」から考えないと気のすまない西洋人特有の神話から来ているのかもしえないとさえ言う。「突然変異」が飛躍的な進化を牽引するという考え方も、個人主義的な思いこみにすぎない。今西進化論では、飛びぬけた個が全体をリードするのではない、変わるときは、全員がいっせいに変わるのである。

ダーヴィン進化論あるいは西洋的発想では、世界は多様な個が競争・闘争しながら時に和平協定を結ぶような世界である。これに対して、今西進化論では、本来は一つであった全体が分化していった結果が世界の多様性である。本来一つだったのだから、平和にすみわけるというのは当然の結論なのであった。

豊かな社会では何が進化するのか?

ダーヴィン進化論は、マルサスの『人口論』に影響されたという説が発表当初からあったそうだ。アダム・スミスの『国富論』の「自由競争」などにもあるいは影響されたのかもしれない。逆にマルクスの階級闘争史観はダーヴィン進化論の影響を受けたという説があるし、スペンサーの社会進化論は明確に影響を受けている。

いずれにしても、人間社会の見方として、「競争」か「すみわけ」かという二つの見方がある。西洋の経済学者や知識人には、進化・進歩や成長のためには「競争」が必要であり、できるだけ自由に競争するほうがよいのだ、そうでなければ社会は停滞すると思い込んでいる人が多い。また、イノベーションは「突然変異」のように天才的な個人がけん引するものだと思い込んでいる人が多い。

そして、日本でもこれに追随する人は多い。しかし本当にそうなんだろうか。「すみわけ」理論による進化と成長の理論もあってよいはずだ。ここにおいて、日本人、東洋人ならでの貢献があるかもしれない。

また、「すみわけ」の中での進化と成長は、必ずしも機能的な面だけではないだろう。今西錦司は、生物の進化の中には、色や柄の多様性、形態のスマートさなど、どう見ても機能的にあまり意味のないバリエーションの変化もあると言う。美的な意味ですみわけていくというのが進化の最後の段階かもしれない。
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