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地方創生は「寄り合い」から

戦前の日本は封建的で家父長的だったが、戦後の日本は民主主義の国家になった。私が小学生のころ、というのは昭和30〜40年代ということだが、こういうすこし紋切り型の歴史観を教えられてきた。おそらくこれは戦後の占領下の教育の延長だったのだろう。

その場合の民主主義とは、多数決で物事を決めることだった。ホームルームでは挙手で決を採るということが民主主義のレッスンとして行われた。小学6年生のときには、子どもによって構成される「児童会」の会長を投票で決めるという制度が始まった。中学や高校の生徒会の子ども版である。子どもに自由に立候補させ、公約のようなものを掲げさせ、論戦のようなこともさせる。ポスターなども作って選挙活動をする。みんなで投票して会長を選出するというわけだ。

全員一致から全員納得へ

多数決は万能ではない。むしろ、あまりよい合意形成の方法とは言えないと私が気付いたのはだいぶん後のことである。ひところ私は、選挙のたびに「平均知性低下の法則」という説で相手をケムに巻こうとしていた。人間は多様であるから、生理的な欲求や憎悪の感情など低いレベルの話でないと一致しない。関係者が多くなるほど、賛成意見が多くなるほど、一致点のレベルは低くなる。多数決は、賛成意見が多いほど危険なのだ。ナチス政権は圧倒的な支持を得て登場した、云々。

とくに1990年代、郵政改革をテーマにした小泉さんの解散総選挙とその大勝利あたりから、私はそういう思いを深くした。「決める政治」がキーワードになり、多数決は民意なりという紋切り型が大手をふるい始める。「小泉劇場」と同様、民主党の(今にすれば幻のような)大勝利にも、橋下さんの大阪での選挙戦の勝利も、暗く沈んだ気持ちで見つめてきた。

多数決は疑わしい。逆説のようだが、その決が多いほど疑わしいのであって、「全員一致」に至っては悪夢のような結論だと思ったほうがいい。しかし、「全員納得」という結論はありえる。全員一致と全員納得は異なる。

寄り合いの3つの特長

前回のブログでも紹介したマエカワ(前川製作所)の前川正雄さんによれば、日本人は本来、言語化される以前の感覚知を共有し、「共同体の技」にしていくのを得意としてきたという。そして日本型共同体の最たるものが「寄り合い」だという。長い時間をかけ、「皆が納得する結論」を出す。「結果、みんなが合意に達し、欧米でよくやる、相手を打ち負かすための議論では望めない質の高い成果が得られます。うちでも、寄り合いそのものといえる三日三晩の合宿をよくやります」(PRESIDENT 2012年10月29日号)。
http://president.jp/articles/-/12364

これを読んで私は、宮本常一(1907-1981年)の名著『忘れられた日本人』(1960年)を思い出した。戦前から西日本の農山村を調査してまわった体験や資料をもとに書かれたもので、宮本民俗学の代表作とされる。

その最初の二章が、「寄り合い」について書かれているのである。対馬のある村で、宮本は村に伝わる古文書を発見し、筆写のために貸してくれないかと区長に頼んだ。区長は、そういう大事なことは「寄り合い」にかけてみなの意見を聞く必要があると朝から出かけていった。ところが、午後三時を過ぎても帰ってこない。そこで宮本自身が寄り合いの会場へ行ってみると、二十人ほどが板間で話し合っている。

宮本が会場へ来る以前、この議題は次のような経緯をたどっていた。実は朝一番に話が持ち出され、「大事な書類だから皆でよく話し合おう」ということになった後、別の議題に移ってしまった。議題は他にもたくさんあるのだ。しばらくすると、古いことに詳しいある人が古文書に関係する一つの逸話を思い出した。昔、村一番の旧家で伝来の御判物を人に見せたら返してもらえなかったという。すると、それと関連するような話がいくつか出てきた。しかし結論が出たわけではなく、また別の議題に移っていった。そしてまたしばらくして、誰かが「他人に見せて役立つなら見せてはどうだろう」と発言した。すると、今度は家にあるものを人に見せたらいいことがあったという世間話がいろいろ出てくる。そしてまた別の議題に移っていく。

こうして、否定的、肯定的の両方のニュアンスの話が出たところで、本人の宮本が現れた。ある老人が「見ればこの人はわるい人でもなさそうだし、話をきめようではないか」と発言して、みんなが宮本の顔を見る。宮本が古文書の中身のクジラとりの話をすると、またクジラとりをしたころの話がしばらく続き、一時間あまりして、ようやく「貸してあげよう」という結論に至るのでる。

この寄り合いの合議制には、三つの大きな特長がある。一つは、時間を惜しまないこと。昔は弁当を持参し、寝泊まりする者もあって、結論が出るまで続いた。「といっても三日でたいていの話もかたがついた」。二つ目に、そうして得た結論は「全員納得」の結論として大事にする。「みんなが納得のいくまではなしあった。だから結論が出ると、それはキチンと守らねばならなかった」。三つめに、話し合いといっても、どちらの主張が正しいかというような論戦をするのではない。互いに知っている事例を持ち寄るのである。「話といっても理屈をいうのではない。一つの事柄について自分の知っているかぎりの関係ある事例をあげていくのである。話に花がさくというのはこういう事なのだろう」。

暗夜に胸に手をおいて

冒頭に書いたように、戦後、日本人は封建的で家父長的で「遅れている」と言われた。進歩的な知識人はみなだいたいそう考えていたのである。宮本常一には、そういう風潮への反発があったようだ。西日本の農村では、「寄り合い」という独特の民主的な合議制がとられていたことを強調した。

「寄り合い」というと何か主体性が薄いように思えるかもしれないが、それは「もたれ合い」ではない。宮本は長野県諏訪湖のほとりの村の知人から次のような話を聞いたという。戦後の農地解放の話し合いでみながてんでに勝手な主張をしているときのことである。その知人が「たった一人暗夜に胸に手をおいて、私は少しも悪いことはしておらん。私の親も正しかった。祖父も正しかった。私の家の土地はすこしの不正もなしに手に入れたものだ、とはっきりいいきれる人がありましたら申し出てください」と言ったら、みんな口をつぐんでしまった。以後、「暗夜に胸に手をおいて」と切り出すとだいたい解決の糸口が見えたというのである。

宮本はこれに関連して、自分が子どもの頃に村の寄り合いで体験したことを書いている。大きい声で何かをしきりに主張している男がいたが、一人の老人の「足もとを見てものをいいなされ」の一言で男は黙ってしまったというのである。

「暗夜に胸に手をおいて」の話など、遊女をかばった新約聖書のイエスの言葉のようで面白い。「足もとを見て」も、私などのようなおっちょこちょいは、50代になった今ですらどきっとする寸言だ。いずれにしても、日本人の「寄り合い」という合議制が、単なるもたれ合いやなれ合いではなく、主体性や倫理性に基づいたものである(あり得るか)ということがよくわかるエピソードだ。

むしろ「下から目線」で

現在、政府は「地方創生」を提唱している。「創生」とはどういう意味であろうか。従来はよく「地方再生」と言われたものだ。もしかして、「再生」ではなまぬるい、今の地方の現状を思えば、根こそぎ創りなおすくらいの覚悟が必要だという意味であろうか。今の政府の動きは、増田寛也さんの「自治体消滅論」が引き金になっているようなところがあるので、そんなニュアンスである可能性がある。1980年代末、竹下内閣のときに「ふるさと創生」事業というのがあった。より直接的には、そこからきているのかもしれない。

いずれにせよ、私は「創生」より「再生」という言葉のほうが好ましく思う。地方には再生すべき良いものがあるという謙虚な姿勢は大事だ。国会や知識人の議論を見ていると、「ばらまき予算ではいけない」「地方の自立が必要だ」などといったことが相変わらずしたり顔で議論されている。要するに「上から目線」である。地方は(都会に比べて)遅れているという発想は、日本は(欧米に比べて)遅れているコンプレックスの裏返しに過ぎない。

日本の地方には、世界的に誇れるものがある。「寄り合い」の伝統はその一つである。地方にまだ残る日本のオリジナリティをどう生かすかが真の問題だ。生かせなければ、日本の未来はない。残念ながら都会には日本のオリジナリティはほとんど残っていない。私たちは地方に頼るしかない。それは都会育ちの私の危機感だ。都会の人は「下から目線」で地方を見て、「教えてもらう」という姿勢にまずなるべきだと思う。

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