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郊外化する惑星

『The Economist Dec 6th 2014』に、世界中で進行する「郊外化」というテーマの興味深い記事(A planet of suburbs Places apart)が出ていた。

国連の推計では、21世紀になって世界の都市人口が農村人口を超えた。そこで21世紀は都市の世紀と言われるが、実際には郊外の世紀だというのだ。

郊外化には昔から批判的な見方があった。最近では金融危機のころのアメリカ郊外住宅地が思い出される。The Economistはもちろんそれを忘れてはいない。サブプライムローンが破綻した2008年ごろ、アメリカのリッチな郊外住宅が抵当流れで次々と空き家になり、ゴーストタウンのようになった姿がテレビなどもよく放映された。また、アメリカは典型的なクルマ社会だが、クルマに依存せず、都心に近いヒューマンスケールなまちで徒歩と電車中心のアーバンライフを求める傾向も出てきていた。

下の図は90年代以降のアメリカの都市部と郊外部の人口動向を見たものだ。郊外部の人口は高い伸び率で伸びていたが、金融危機の2008年ごろから下がっている。逆に落ち込んでいた都市部の伸び率が回復している。実数では、郊外部が2000年頃に都市部を抜いて伸びているものの、2008年ごろから都市部も再び頭をもたげている。The Economistには(2)の伸び率だけ出ていたが、併せて見たほうがいいと思って、再集計してグラフ化した。

ぐらふ1

ぐらふ2


記事は、このように郊外化に歯止めをかける動きにも目配りしつつ、しかしアメリカ全体、またインド、中国など途上国・新興国では郊外化が進んでいると強調する。東京は郊外が縮小しはじめた珍しい例として紹介される。また、ヨーロッパの成熟した都市の例はまったく出てこない。郊外化に歯止めをかけたロンドンのグリーンベルトについては、その副作用が力説される。一部、アメリカの若者の間での都心回帰、ヒューマンスケールのまちへの回帰もレポートされるが、しょせんマイナーな動きとかたずけられる。

経済が発展し、消費が増えれば、広いスペースがほしくなり、郊外住宅地がほしくなる。世界が豊かになるにつれ、郊外化するのは当然だというのだ。この論調は、グローバルに財界で読まれる保守的な新聞『The Economist』らしい。世界の郊外化は、世界のライフスタイルの均一化を意味する。そこで喜ぶのは、グローバルビジネスを展開する企業だ。

実際には21世紀後半には世界中で人口減少と高齢化が進行する。郊外の衰退と都心回帰こそが長い目で見たときのトレンドのはずだ。途上国・新興国、そして先進国と言いつつも大量の移民を抱え、いわば「内側に途上国をかかえた先進国」アメリカでは、なるほど郊外化がすさまじいが、そちらにほうが一時的な現象であることは明らかだ。

以下は抄訳である。自分の興味のあるところだけをつまんで訳している。正確な全体像を知りたい方は原文にあたられたい。
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『The Economist Dec 6th 2014』記事
郊外の惑星(A planet of suburbs Places apart)抄訳

●インド南部にカリフォルニアが出現!?

チェンナイ中心部から南へ30キロメートル、あなたはインドの田園地帯に着いたと思うだろう。シェロの葉の屋根、うろつくヤギ・・・。ところが、あなたがコーナーを曲がり、ゲートを通り抜けると、そこはなんとカリフォルニアだ。「レークウッド飛び地」と呼ばれるこの地区は、28棟の大きい2階家の並ぶ新しい郊外住宅地である。

家は「バリ島のスタイル」として広告されるが、世界中にある郊外住宅のスタイルと何ら変わらない。外観はパール・ピンキッシュ・ブラウン、中の壁は白く、フロアは石材、デザインはオープンプランである。3つの寝室およびカバーされた私有車道を持っている。1つだけ、インドらしいディテールがある。ヒンズー教の神のためのドアの近くの食器だなだ。

農夫は争って土地を業者に売り、通勤者が往来する。レイクウッドを含むChengalpattuの人口はいまや50万人だ。

世界中で起きている地方から都市への人口シフトは、しばしば「偉大なる都市化great urbanisation」と呼ばれる。しかしそれは誤解を招く表現だ。動きは確かに大きい。国連の試算では、2010年から2050年にかけて開発途上国の総都市人口は2倍の52億人になる(一方田舎の人口はわずかに縮む)しかし、それは、いわゆる都市化ではない。途上国や新興国では、中心部より郊外部のほうがはやいスピードで成長している。「偉大なる都市化great urbanisation」ではなく「偉大なる郊外化great suburbanisation」なのである。

●金融危機で露呈した郊外の危機

郊外は、多くの人が住んでいるのに働いている人はほとんどいないというという特殊な年だ。歴史的には19~20世紀の産物である。やがて「郊外のノイローゼ」として知られる病理が生まれる。ルイス・マンフォードは1961年、郊外における大量かつ均質な住宅、年齢的にも階層的にも画一的な住民階層、画一的なライフスタイルについて書いた。

2008年の金融危機で郊外の危機がやってくる。新しい郊外住宅の多くが抵当流れになった。ンフランシスコ湾エリアの郊外のスプロール地帯の中で急成長中であった自治体、Stockton,は2012年に破産した。

Leigh Gallagher’の「郊外の終わり“The End of the Suburbs」(2013年)は、郊外に対する論難の書というより、郊外の病理学へのポストモダンな評価だ。アメリカ人--特に若いアメリカ人--は、車と低層住宅のライフスタイルから転換した。彼らは、中心地に集まり、賃貸アパートに住み、路面電車か徒歩で通勤し、コーヒーショップでたむろする。働き、掲げるために歩く。郊外はこれまででより貧しく、より犯罪的であるままにしておかれる。Edward Glaeser の「都市の勝利“The Triumph of the City”」 、Alan Ehrenhaltの「大逆転“The Great Inversion”」 も同様の論調だ。

●豊かさと郊外化は比例する

それでも半数以上のアメリカ人が郊外に住んでおり、その大半が自ら選択してそうしている。世界はすみやかにこの傾向に従っている。1950年代の台湾の都市計画プランナーはイギリスの田園都市を視察し、帰国後彼ら自身の郊外地を作った。北京北部のOrange Countyはカリフォルニアのクローンだ。

ある意味では批評家たちは正しい。郊外は隔離された場所だ。しかし多くの人はそこで控えめな解放感を経験する。南カリフォルニアの市、レイクウッドの役員、D.J. Waldie,は彼の郊外を「私の欲望の要求に適している」と評した。そして、結論からいえば、非常に多くの他の人々の欲望にも適しているのだ。

無秩序な郊外化、つまりスプロールを抑止する大胆な試みが、チェンナイの45km南にある。2002年、Mahindra世界都市として知られている大きい工業団地を建てられはじめた。Mahindra世界都市は相応に成功している。すでにその63人のビジネステナントが入り、30,000人の人々を雇用している。しかしそのほかのビジネスや住宅がすぐ近くで出てきており、結局それはチェンナイの郊外化と次第に区別がつかなくなってきている。Mahindra世界都市は首都への代案を作成するというよりもチェンナイの郊外を拡張した。

ニューヨーク大学の地理学者Shlomo Angelは、世界中のほとんどすべての都市の人口密度が低下していることに注目する。1920年代のシカゴはヘクタールあたり59人を管理していたが、いまは16人。メキシコシティの都市化されたエリアでは、1940年の約半分の密度になった。北京の人口密度は、1970年のヘクタールあたり425人から65人まで減った。ほとんどの巨大都市はより混雑度の低い方向に向かっている。

●若者の都心回帰もメジャー現象ではない

簡単な真実がある。人々はより豊かになると、より多くのエネルギーを消費するように、より多くのスペースを消費し、より多くの商品およびより多くのサービスを消費する。Angel氏によれば、中国の都市で、安く建てられたエレベータがないアパートを取りこわして高層タワーに置き換えると、人口密度が低下する傾向がある。

富はスプロールに燃料を供給する。そのプロセスは発展途上国で急速に起きている。そこで、問題は、それが後戻りできる現象なのかどうかである。

地球上でフェニックスほど郊外化された場所はない。しかし、市長のGreg Stantonは都心部での新しい動きを指摘する。新しい高層の学生寮、新しいコーヒーショップ、ポケット公園、および32kmに及ぶ路面電車など。

3月に彼が彼の年間の「都市の状態」スピーチをした時には、それの多くは都心部に捧げられた。都市には、濃く、振動し、若々しいコアが必要であると、彼は言う。若い人々はそれほどドライブに熱中しない。なぜなら、そのあいだ携帯電話を使うことができないから。彼らは、歩き回り、路面電車に乗ることを望む。彼らを引き付けるために、フェニックスはもっと都市的にならなければならない。

市長はフェニックスのイメージを少し改善した。しかし、大勢は変わらない。アリゾナの最も成長力が高い場所は最近は大都市のフェニックスの周辺の郊外の地域である。

●古い郊外、新しい郊外

数年前、抵当流れ処分とガソリン価格上昇が、アメリカの郊外を襲ったとき、郊外の放棄と都市部の人口再増加について自信に満ちた予測が現れた。ブルッキングズ研究所〈シンクタンク〉のWilliam H. Frey,は、実に人口において、都市の郡が、10年前より迅速に発達、郊外の成長は遅れたことを指摘した。現在、この2つはおよそ同じくらいの成長率になっている。しかし、これは、現在アメリカ人が中心的な都市と郊外に等しく引き付けられるのを意味していない。国の最も成長力が高い部分は現在ほとんどすべて郊外居住者地域である。

Frey氏の計算によれば、2006年から2009年、郊外の成長での落下が迅速に起こった。それは確かに、金融危機のため起こされた抵当貸与標準および労働市場の悪化という2つのショックのせいだ。しかし再び始まった郊外への流れは経済が正常に戻るとともに加速するかもしれない。

郊外も一様ではない。古い郊外地域には有色人種が増える。1958年に社会学者ハーバートガンスにより調べられたニュージャージーのレビットタウン。、それが築かれた時には、黒人は生活からそこに締め出された。それは現在Willingboro郡区として知られて、4分の3の住民が黒人である。

アメリカでの最も大きく、最も古い、および最も貧しい郊外開発のうちの1つが、フェニックスMaryvaleである。それは1950年代にすごいスピードで築かれて、ちょうど同じくらい迅速に売られた。しかし、白人の多くは1980年代に逃げた。Maryvaleは、現在、約200,000人の居住地で、ヒスパニックが4分の3を占める。

多くの古いアメリカ郊外は同じ方法で低所得者向けになり、これは、失敗の証拠とみなされた。ただし、Maryvaleから動いた人々は、都心部に殺到したのでなく、より新しく、より遠い郊外に行った。さらに、新しいメキシコ住民は、そのスペースを生かして快適に暮らした。祖父母のために家を拡張し、鶏を飼い、少しは馬を飼いさえする。彼らはおそらく、より高密度に暮らしている仲間よりも少ない犯罪率の環境にいる。

●郊外が崩壊する東京、郊外化を制御したロンドン

世界には実際「大いなる逆転」を受けたところもある。最もよい例は東京である。そこで人口は、都心部10km以内で急速に増大している。これは部分的に日本のファミリーのドラマチックな収縮および郊外人口の老化の結果である。八田達夫〈都市のエコノミスト〉は、地下下落の影響もあると見る。

まだ、東京のような例は珍しい。アメリカの都心部は、時々、たとえば1990年代のシカゴのように蘇るように見えるが、再び後退する。その間、郊外は拡大し続ける。

ロンドン緑地帯は1930年代に生まれて、議会の持続的な行動により強化された。その時ロンドンは、あまりにも大きくあまりにもすごいスピードで郊外化しているように見えた。ちょっと 今日のチェンナイのような感じだ。緑地帯は解決策であった。緑地帯は、すぐに他の英国の都市、そして他の国でも設置されるようになり、「都市の成長境界」と呼ばれた。

ロンドンの例は、都市が郊外のスプロールをやめることができることを示唆する。しかし、それらは住民の多くに大きいコストを課す。緑地帯のため、ロンドンには中流の郊外住宅がほとんどなく、土地資産価格が異常に高い。南ノーウッドは、 3寝室家で約300,000£(470,000ドル)かかる。Maryvaleなら一つの袋小路が買えてしまう。

ロンドンの郊外の凍結はたぶん、Brixtonのようなインナー・ロンドン地域の復興を援助した。しかしそれはまた、多くの人々を品位がない家に押し込んだ。それは不動産所有者、豊かにされた金利生活者と他のみんなの間の富ギャップを広げた。

(郊外ではなく)自己完結型の町のように見えるイギリスの多くの部分は、実際には寮として機能するように見える。それらの住民は、混んでいる列車および交通渋滞に陥った車のウィンドウを通じて緑地帯の美の真価を認める・・・。

緑地帯のこれらの不運な副作用は、オールオアナッシングの思想から生じる。一方、郊外は、妥協案の具体化である。仕事とレクリエーションのためのニーズ、コスト、スペース、通勤時間、プライバシーとコミュニティ。郊外はこれらのバランス、妥協点を提供する。

●郊外に導入される都市性

10年前、Edward Glaeser〈エコノミスト〉は、生産のための効率的なマシンとされてきた都市がまた、消費にも良いのを説明した。彼は「消費者都市」の上昇に注目した。それは、すばらしいアメニティのため、人々を仕事場の近くよりもひきつける。多くの技術系労働者が郊外のオフィス公園に通勤するサンフランシスコは、最高の例である。ますます、世界も消費者郊外と消費者村が増えていくように見える。

アメリカでは、郊外にも少量の都市性が与えられる。シリコンバレー-Googleの家-のマウンテン・ビューは、謙虚な都心部を作ろうとしている。ノースカロライナの非常に成功したリサーチトライアングル公園は、新興企業を誘惑するつもりのカフェとスモール・オフィスによって小さな都市コアを築く。南のカリフォルニアでは、音楽的な噴水だけで古代の都市センターを見習った戸外のショッピングセンターを建てる。

郊外がより都市的になっていくにつれて、中心的な都市と郊外の区別がぼやけてきた。そのうちに、この2つは、切り離して語ることがほとんど不可能になるかもしれない--そして、妥協による最終的な勝利を得るのは、控えめな郊外のほうかもしれない。
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