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浄土経典と豊かな社会

パナソニック(旧松下電器)の創業者、松下幸之助は、昭和7年に次のように講演した。

「産業人の使命も、水道の水のごとく、物資を無尽蔵たらしめ、無代に等しい価格で提供することにある。それによって、人生に幸福をもたらし、 この世に楽土を建設することができるのである。松下電器の真使命もまたその点にある」
http://panasonic.co.jp/history/person/050.html

注目したいのは、「この世に楽土を建設する」という部分。モノがいっぱいあふれる豊かな社会を、仏教で言う極楽浄土にたとえている。

なるほど浄土教の根本経典とされる『無量寿経』は、浄土(仏の国土)の様子を次のように書いている。

「(また)処るところの宮殿・衣服・飲食・もろもろの妙なる華香・荘厳の具、なお第六天の自然(じねん)の物のごとし。もし食せんと欲する時、七宝の盋器(はつき)、自然(じねん)にして(かれの)前に在り。(たとえば)金・銀・瑠璃・硨磲・瑪瑙・珊瑚・琥珀・明月・真珠(よりなる)、かくのごときのもろもろの盋、随意にして至り、百味の飲食、(その中に)自然盈満(ようまん)す。」(岩波文庫)

衣食住の万般、ほしいモノが、ほしいと思ったときに、自ずから(自然に)現れる。また、この国土はすばらしい音楽と香りに満ち、常に寒からず熱からず、気持ちのいい風がふいているとも書かれている。

これだけ見ると、物欲と感覚のパラダイスのようだ。おやおや、仏教というのは諸行無常の教えではなかったか?

実は、上記の引用には続きがある。

「(すなわち)この食ありといえども、実に食する者なし。ただ、色を見、香を聞いて、意(こころ)、食せんと以(おも)えば、自然飽食す。心身、柔輭(にゅうなん)にして、味著(みじゃく)するところなし。事おわれば(盋器も飲食も)化し去り、時至ればまた現る。かの仏の国土、清浄安穏にして、微妙快楽なり。(しかも)無為泥洹(むいないおん)に次(ちか)し。」(同上)

浄土の人々は、実際には食べないのである。見て香りを楽しんで、それだけでおなかいっぱいになる。満足すればたちどころに食器もごちそうも消える。浄土には、実は定まった形はない。「無為泥洹(むいないおん)」、すなわち、形をはなれた常住不変のさとりの世界だというのである。

松下幸之助の「この世の楽土」は、戦後の高度成長によって実現した。しかしまさにその頃から、「物から心へ」と言われる時代になった。モノがたくさんあるだけでは、幸福になれない。松下幸之助も晩年は「経済大国から精神大国へ」と言っていたようだ。

仏教には「方便」という考え方があり、わかりやすいところから教えて、次第に本質をさとらせる。浄土のすばらしさについて、まずは五感の快楽の描写から始めるのは方便であろう。

また、「我」を捨て「善」をなせという教えも方便かもしれない。念仏や善行が浄土に指定席を得るための手段にすぎないとすれば、それもまた一種のエゴイズムだ。

エゴの欲望は適度なところで切り上げて、あとは「善をなす」ことに心がけたほうが、気持ちがひろびろとして楽になる。楽土とは本来、そういう境地なのだろう。
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