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進歩の原動力―岡本太郎のエラン

岡本太郎(1911-1996)を特集したドキュメンタリー番組(BSアーカイブ)を見た。

岡本太郎といえば、縄文土器への思い、70年大阪万博の太陽の塔のプロデュース、「芸術はバクハツだ!」と叫ぶTVCFなどを真っ先に思い出す。特に太陽の塔の印象が鮮烈だ。

大坂万博のメッセージは「進歩と調和」であり、太陽の塔もその具体的なイメージの一つを担っていた。万博の開催された1970年は、高度成長の光(物質的豊かさ)と影(公害問題など)が一挙に噴出した時代とも言えるので、このメッセージは危ういと言えば危ういものだった。石油ショックををへて70年代には、むしろ高度成長への批判のほうが強くなっていったくらいである。

しかし、岡本は、イデオロギーや意見の対立というようなことにはあまり興味がなかったのではないかと思う。社会問題に無関心だったと言いたいのではない。むしろ逆で、パリ在住時代にピカソの「ゲルニカ」に感銘を受けた岡本は、戦後、原爆の問題にこだわり続けた。幻の作品に終わったメキシコの壁画「明日の神話」はその象徴である。文明の生み出してしまった悪の力に対応するためには、人間の側に、それをはねかえすだけのプリミティブな力強さが必要だ。

そんな岡本の思想は、太陽の塔でいえば、内部展示を見たほうがよくわかる。万博のときに小学校5年生だった私(「20世紀少年」の浦沢直樹さんの同世代)は、関西の親せきを頼って大坂に行き、1週間くらいかけて万博見物をした。中でも、太陽の塔の内部展示はよく覚えている。

内部は空洞になっていて、地階から上に向けて、進化の系統樹が伸びていいる。一番下に単細胞生物がいて、途中に恐竜がいて、てっぺん付近に人類がいる。観客はEVで上まで上がり、さらに階段を下りながら展示を眺める。

てっぺんが人類というと、何だかいかにも、「進歩」を無条件に信じた高度成長期的なコンセプトのようだ。しかしドキュメンタリー番組を見ると、岡本太郎の眼目は「単細胞生物」にあったことがわかる。「観客は恐竜とか喜ぶだろうし、実際、制作費もかかるよね。しかし、大事なのは、単細胞生物、そこにある(根源的な)生命力なんだ」という意味のことを力説していた。

taiyonoto.png


ちなみに塔の地下には、仮面を中心にした世界の民族学資料が集められ、これは後の国立民族学博物館のベースになった。未開民族の文化は、岡本にとっては人類史の中での(よい意味での)単細胞生物時代だったのだろう。

進歩の「結果」ではなく、進歩の「原動力」に目を向けよ。―進歩の結果は多様性・複雑性であり、場合によっては諸々の対立である。また、進歩の実質的な行き止まりに辿り着いてしまうこともあるだろう(いわゆるガラパゴス化)。そんなときは、結果に目を奪われるよりも、原動力に回帰するのがいい。

ベルクソン哲学でいえば、エラン・ヴィタル(生の飛躍)だ。どんな不調和に直面しても、どんなに行き詰まっても、生命には、その都度毎に原点に立ち返り、環境をはねかえし、新しい調和を創り出していく力がある。それこそが岡本の言いたかったことだし、いま、私たち日本人が受けつぐべきメッセージなのだと思う。
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